砂糖を焦がせば薫る日々

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2.三沢春奈(10)


      10

 車は苦手だが、春奈の状態を見るとそんなことは言ってられないと、紗枝は密かに我慢しながら黒塗りの高級車に乗り込んだ。
 春奈の家は豪邸だった。
 ロールスロイスに乗せられて着いた入り口は、昔の外国映画に出てきそうな煉瓦造りの門構えで、いかにもな造りだった。車を降りて門をくぐると白い大きな建物が正面に立ち、芝生に覆われた庭が辺りに広がっていた。雨が降っているためそれほど映えないが、きちんと整備された庭だ。
 建物に向かって真っ直ぐ進むと、玄関にいくつかの人影が見えた。
 五人が玄関前に着くと、ベスト姿の女性が一人近づいてきた。
「春奈様。こちらへ」
 春奈は頷くと、女性に何かを囁いた。女性は頷き、顔を上げて紗枝達の方を向いた。
「皆様方は春奈様の御学友の方々ですね。春奈様の治療には多少時間が必要かと思いますので、それまで客間の方でおくつろぎ下さい。使いの者に案内させます」
 紗枝達は若干緊張した面持ちで屋敷の中に入った。春奈はみんなとは違う部屋へと向かう。
 広い客間でソファーに座りながら四人はほうと息を吐いた。
「春奈ちゃん、大丈夫かな……」
 由衣が心配そうに呟く。それに恵が答えた。
「傷自体は痛いかもしれないけど、命にかかわるものじゃないようだからね。痕は残るかもしれないけど……」
「でもっ、あんなに綺麗な手をしてるのに」
「もう起こってしまったことなんだから、私たちが騒いだってしょうがないでしょう? それに医者の腕次第ではきれいに済むかもしれない」
 恵はそう言ったが、あまり本人も信じていないように見えた。どこか陰のある表情で語る様子には説得力が感じられない。
 紗枝は自分のせいだと思った。自分にもう少し勇気があれば、春奈はあんな傷を負わなかったはずなのだ。春奈には感謝してもしきれない思いを抱いたが、春奈が傷つく様子には耐えられなかった。
「大丈夫? 吉原さん」
 ふと声をかけられ、紗枝は顔を上げた。河菜美咲がいたわるような顔でこちらの顔を覗き込んできていた。
「……うん、ありがとう」
 美咲はソファーに座りなおすと、真剣な口調で訊ねてきた。
「何があったか、聞かせてくれる?」
 その問いかけはとても真摯に聞こえたので、そしてしっかり話す必要があると思ったので、紗枝は頷いた。
「……うん」
 美咲は小さく微笑すると、由衣と恵に目配せした。由衣は不安げな目で、恵は冷静な目で紗枝を見つめてきた。
 紗枝は深呼吸をひとつすると、ゆっくりと話し始めた。



 春奈が小さく悲鳴を上げると、加藤雪美は無表情に一言呟いた。
「痛いと思うのなら、それは正常である証しです。死ぬよりましだと思ってください」
 春奈は使用人の容赦ない言葉に口を膨らませた。
「雪はどうしてそんなに冷たいのですか?」
「掛詞のつもりですか。私の名前は雪美です」
「冗談が通じない人ほど面白くないものはないって思いませんか、雪美」
 春奈の軽口を雪美は無視するように答えない。春奈はそれを見てくすりと笑った。冗談が通じない人は面白くないが、冗談が通じない人を見るのはなかなかに面白いことだと思う。
 雪美は淡々と、しかし丁寧な手つきで、縫合の終わった春奈の左手に包帯を巻いていく。その動作は能面のような無表情な顔とは裏腹に優しげだ。
「……ごめんなさい、雪美」
 春奈は小さな声で謝った。雪美は首を傾げ、
「なぜ謝るのですか? その必要があるとは思えませんが」
「心配かけるようなことをしてごめんなさい……この理由ではいけませんか?」
 雪美は微かに目を細めた。
「……春奈様が御自身でお決めになったことです。もちろん心配しましたけど、正しいことをなさったのだと、私は信じております。それに……本当に謝るべき相手はもっと他にいるのではないでしょうか」
 雪美の言葉を受けて春奈は黙った。そのとおりだと思う。本当に謝るべき相手は、今客間にいる四人だ。
「……ちゃんと謝らなければいけませんね」
 春奈の呟きに雪美は何も言わない。
 包帯を巻き終わると、雪美は言った。
「骨には異常ないようですので、完治まで時間がかかることはないと思います。ただ、どうしても傷痕だけは残ってしまうかもしれません。刃物は大きなものではなかったのですが、無理に引き抜いたせいか傷口自体が広がってしまっているので……」
「大丈夫。それなら問題ありません」
 春奈は雪美に向かって小さく微笑む。
「傷痕など気にしませんから」
「……そうおっしゃると思っていました。もったいないですよ。せっかく綺麗なお手をなさっているんですから」
「あら、それじゃあ雪美はこんな傷痕のせいで私のことを嫌いになりますか?」
 雪美の目が急速に細まった。
「そんなこと、ありえません。しかしそんなことをおっしゃる春奈様は、私のことがお嫌いなのですか?」
「っと、そう来ましたか」
「お答えください」
「もう、本当に冗談が通じないのですねあなたは。そういうところも含めて、大好きですよ、雪美」
 雪美はそれを受けて、しばらく黙っていたが、
「そうですか。もったいないお言葉です」
 そう言って、頭を下げた。
 春奈は苦笑した。怒るかと思ったが、こんな生真面目さこそ雪美らしいと思った。



 客間では四人が暗い顔でソファーに座っていた。
 春奈は包帯でぐるぐる巻きにされた左手を軽く上げると、小さく横に振った。痛みが走ったが、こらえられないほどではない。
「ど、どうだった?」
 最初に口を開いたのは美咲だった。いつも明るいはずの彼女だが、さすがに今は表情が暗い。
「問題はありません。完治までには多少時間が必要ですけど、日常生活に支障はありませんよ」
 それを聞いて、四人がほっと胸をなでおろす。紗枝と由衣などは元々気が弱いだけに、深々と安心のため息をつく。木元恵はそれほど顔に変化を見せなかったが、小さく柔らかい微笑に春奈はこの人らしいと思った。
 視線を外し、紗枝に向き直る。紗枝は安心の反動か、急に涙ぐみ始めた。
 春奈は少し胸が熱くなった。やはり謝らなくてはならないだろう。こんなに心配をかけさせてしまった。
「ごめ「ごめんなさいっ」
 春奈が頭を下げようとした瞬間、紗枝が先に頭を下げてきた。
「……え?」
 春奈は完璧に意表を突かれて、すぐには反応できなかった。
 紗枝が涙声で言う。
「……あのとき、私も、……すぐに、動い、ていれば……春奈ちゃんが、怪我することもなかったのに……」
 春奈はさらに驚いた。何を言っているのだろう。あの時紗枝が叫んでくれなければ、後ろから刺されるところだったのだ。むしろ感謝さえしているのに。
「それに、巻き込まなければ、そもそも迷惑かけることもなかったはずだし……」
「何をおっしゃるんですか」春奈は紗枝に言った。「私が勝手に首を突っ込んだだけですよ。私の怪我は自業自得以外の何物でもないのです。でもちゃんとこうして生きていますし、紗枝さんを助けることもできました」
 そう、それは本当によかったと思う。そして、
「謝らなければいけないのは私のほうです。私が余計な怪我を負ってしまったがために、紗枝さんだけでなく、木元さん達にも心配をかけさせてしまったのですから。ですから言わせてください」
 春奈は紗枝だけでなく、他の三人に対しても顔を向けた。
「本当に、みなさんごめんなさいっ」
 両手を前に揃えて、春奈は深々と頭を下げる。
 紗枝と由衣は途惑った顔をした。恵は腕を組みながら微笑した。
 美咲はさっきまでの暗い表情を完全になくすと、かなり気軽な声で言った。
「ま、本当に申し訳ないと思っているのなら、別に誠意を見せればいいんじゃない?」
 美咲の言葉に春奈は顔を上げた。少し表情を引き締め、美咲に向き直る。
「誠意、ですか?」
 美咲は軽く頷き、ニヤリと笑って言う。
「まだみんなお昼ご飯食べてないから、今日はハルちゃんのオゴリ、ってことで!」
 春奈はその提案にぽかんと口を開けた。春奈だけでなく、恵も、由衣も、紗枝も、皆唖然として美咲を見やった。はっとなった由衣が、あせったように姉の腕を引っ張る。
「何言ってるのお姉ちゃん? そんな急なこと言ったって、春奈ちゃんも困るよ」
「ここはハルちゃんち。大豪邸。てことはお抱えシェフもいるに決まってるじゃない! すごいごちそうが食べられるかもよ?」
「もうちょっと空気を考えようよ」
「空気変えるためにやってるのよ。湿っぽい空気私は嫌い」
「そんなワガママな……」
 困り果てた由衣が春奈に視線を送ってきた。ごめん、という意味と、どうにかしてほしいという意味が込められているのだろう。
 春奈は小さく微笑み、頷いた。どうにかしてあげよう。
「ええ、わかりました。すぐに用意させます」
 由衣の体ががくっと滑った。
「え、いいの?」
 美咲の問いかけに春奈は答える。
「はい。美咲さんのおっしゃるとおり、お詫びということで。皆さんのお口に合うかどうかはわかりませんが、どうぞ我が家の食事をご堪能ください」
 美咲は笑むと、妹に向かってⅤサインを見せた。
「やった! ほらね、由衣。言ってみるものでしょ?」
「少しは遠慮してよ……」
 姉妹の漫才のようなやり取りに春奈は笑った。
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