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砂糖を焦がせば薫る日々

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2.三沢春奈(9)


      9

 立ち上がりきれてなかった春奈の胸に、愛美が真っ直ぐナイフを突き出す瞬間を、紗枝はベッドの上から見ていた。
 こちらに背を向けている春奈の上体が衝撃に押されて前のめりになった。
 床に血が滴り落ち、紗枝は悲鳴を上げた。
「春奈ちゃん!」
 すぐさま駆け寄ろうとしたが、そこで紗枝は愛美の顔が驚きに満ちているのに気付いた。
「……大丈夫ですよ、紗枝さん」
 やや苦しげな声が春奈の口から発せられた。
 愛美が唇をわなわな震わせて呟く。
「馬鹿じゃないのあんた……どうしてこんなことができるのよ……!」
 愛美がナイフから手を離し、よたよたと後ろに下がった。後ろ手に這うその様子は、どこか恐れている風でもあった。
 紗枝は春奈に近づくと、彼女の様子を確認した。
 胴体には傷はなかった。
 突き出されたナイフは、春奈が咄嗟にかざした左の手の平に突き刺さっていた。
ひっ、と紗枝は思わず呻く。
手の平から血が滴り、ぽたりぽたりと床に落ちる。ナイフは刺さったままで、春奈はそれを抜こうともしない。
「は、春奈ちゃん。ち、血が、」
「大丈夫ですよ。この程度で人は死にません。ちゃんと分かっててやったことですから、心配はいりません」
 春奈はにこりと笑って答えた。やはり痛いのだろう、苦痛の入り混じった笑みだったが、声ははっきりとしていた。
「分かっててやった……?」
 愛美が春奈に問いかける。春奈を見るその目は、ありえないものを見るような、恐れるような目だった。
「無意識にかばったのなら分かるわ。けど、意識的に手の平で防ぐなんて、そんなことがどうしてできるのよ!」
「胸を突かれたら死ぬじゃないですか」
 春奈が冗談めかして答える。その様子さえ愛美には奇異に映るのだろう、さらに声を荒げた。
「普通、手の平で防ぐなんて怖くてできないはずでしょ! さっきだってそう。犯されそうになっているのにどうしてあんな風に冷静に対処できるのよ! あんた怖くないの? おかしいわ絶対!」
「おかしいですよ、私は」
 それを聞いて愛美の表情が固まった。
「普通の人が躊躇なくナイフを振るったり、相手の喉を狙ったり、女の子に向かってハイキックを蹴り込んだり、できると思いますか? 私はおかしいんですよ」
「な……」
「もちろん人を傷つけるのは好きではありません。でも好きじゃないだけです。必要ならいくらでもできます」
 愛美はごくりと息を呑む。
「で、でも、それは理由にならないわ! 人を傷つけることはできても、傷つけられるのは誰だって嫌で、怖いはずよ!」

「だから、怖くないんですよ」

「…………は?」
 愛美が唖然とした顔で春奈を見つめた。紗枝もその言葉に思考が停止しそうになった。
「無恐怖症とでも言うんでしょうか? 痛いのは嫌ですけど、怖くはありません。だから、つい無茶をしてしまいます。さっきのも、怖くはなかったですよ。傷つくことに恐れはありません」
 紗枝はそれを聞いてかなり驚いたが、一方で納得していた。いくらクラスメイトを助けるためとはいえ、通常の神経ならここまでやることはできないだろう。だが、もしも何も怖くないのなら――
 紗枝は思わず怖くなって体を震わせた。
 その紗枝の反応を敏感に感じ取ったのか、春奈は少し紗枝から離れた。
「あ……」
 紗枝はすぐに自分の反応を抑えたが、内心で己の反応を悔やんだ。春奈ちゃんは違うのに。春奈ちゃんはそんな人じゃないのに。
 春奈はごまかすように笑みを浮かべた。
 それから無造作に自分の手の平からナイフを一気に引き抜いた。血に濡れた刃物が肉から引き抜かれた瞬間、ぐっ、と春奈は呻いた。
「……怖くないといってもやっぱり痛いですね」
 ナイフをポケットにしまうと、春奈は出血がひどくなった手の平に制服のスカーフを巻きつけた。紺色のスカーフはすぐに朱色に染まる。
 冷静に対応する春奈を見て、愛美は反撃する気もなくなったのか、座り込んだまま動かなくなった。
 春奈は言った。
「二度と紗枝さんに近づかないでください。紗枝さんに今後危害を加えるようなことがあれば、私が許しません」
 愛美は虚ろに答える。
「……別に。もう、ちょっかいは出さないよ。ただ、これだけは譲れないね。私は冗談でもなんでもなく、吉原のことが気に入っていて、大好きなんだ。その想いだけは、取り消さないからね」
「取り消す必要もありませんよ。それは確かなことなのでしょう。ただ、あなたのやり方がいけなかっただけです」
 愛美は嘲笑した。
「あんたのやり方なら正しいとでも言うのか? 私が一方的に相手を想い入れ、支配しようとするのなら、あんたはその逆で、一方的に相手を思いやり、助けようとしているだけじゃないか。私は無理矢理相手に自分を想わせようとして、あんたは無理矢理相手に自分が想われようとしている。方向性が違うだけで、あんたは私と同じだよ」
 紗枝はその言葉に嫌な思いがした。二人はまったく正反対だけど、背中合わせになっているだけで誰よりも近い位置にいるのかもしれない。自分を傷つけようとした人と自分を助けようとした人が同類だなんて、あまりにも厳しく、困惑する。
「行きましょう、紗枝さん」
 春奈の呼びかけに紗枝ははっと顔を上げた。
 春奈はかばうように紗枝の後ろに立ち、歩く。紗枝はゆっくり玄関へと向かった。
「……」
 愛美の無言の視線を背中に感じ、紗枝は複雑な思いとともに部屋を後にした。



 階段を下りてマンションを出ると、三つの人影が立っていた。
 河菜姉妹と木元恵だった。美咲と由衣は春奈の傷を見るなり、顔を強張らせて固まった。恵は小さく顔をしかめた。
「怪我してるね。やっぱり無事じゃすまなかったようね」
「……どうして、ここが?」
 春奈がやや苦しげな声で訊ねると恵は呆れの息を吐いた。
「まず自分の怪我をどうにかすべきでしょ。由衣ちゃんなんか震えてるじゃない。心配かけるようなことはやめなさい」
 春奈は由衣を見た。心配げなその目はなんだかこちらが悪いような気になってしまう。
「今救急車呼ぶからっ」
 美咲が慌てたように言うのを、春奈は押しとどめた。
「待ってください。救急車はいいです」
「え? でも、」
 春奈は右手で携帯を取りだし、片手操作で自宅に連絡する。コール音二回で出たのは使用人の加藤だった。学校まで迎えに来てください、と一言だけ伝えると、すぐに通話を切る。加藤の性格ならそれだけできちんと車を出してくれるはずだ。後で怒られるかもしれないが、今はそんなことより早くこの傷をどうにかしたい。
 電話をしまうと四人が四人とも心配そうな顔を向けてきたので、春奈は努めて平静に言った。
「学校にお迎えが来てくれます。そこで待っていましょう」
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