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砂糖を焦がせば薫る日々

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『いまさら翼といわれても』・感想

こんにちは。こんばんは。かおるさとーです。
だいぶ遅くなりましたが、今年もよろしくお願いいたします。



今回は、〈古典部〉シリーズの新作『いまさら翼といわれても』の感想記事です。

当然のようにネタバレをしているので、未読の方はこの先の文章を読まないことをオススメします。



昨年12月と今年1月に発売された野性時代146号・147号に、〈古典部〉シリーズ最新作『いまさら翼といわれても』の前後編がそれぞれ掲載されました。
毎度のことなのですけど、古典部の短編が掲載された野性時代はネットで高く取引されるらしく、146号なんてすでにAmazonで定価の5倍近くの値がついております。元々発行部数の少ない雑誌であることに加えて、なかなか新刊が出ないシリーズなので、こういうことになってしまうわけです。どうにかしてくださいKADOKAWAさん。

それでは感想です。







今回のお話はおもしろい……というより、興味深いお話でした。
これまでの短編では、形式の違いはあれど、スポットを当てられる対象は折木奉太郎でした。伊原摩耶花視点の話、『鏡には映らない』でも、話の中心は奉太郎でした。
しかし、今回スポットを当てられたのは、千反田えるでした。
これまでにも度々千反田さんの背景にはスポットが当てられてきたのですけど、それはどこか奉太郎が触れられない遠い場所というか、別の世界の話のように描かれてきたのですね。『遠まわりする雛』で奉太郎はその世界の一端に触れましたが、あくまでそれは奉太郎の世界と深く交わることはないものでした。
基本的にそれは変わらないと思います。しかし、千反田さんがいる場所が、その立ち位置が変化するとしたら? これから歩むはずだった道筋が変化する、そういう可能性もあるのだとしたら?

高校生の頃の先行きは不安定で、なかなか未来は見通せないものです。もちろん、進路を早くから決めていて、迷いなく進む人もいるのでしょう。ただ、そうじゃない人の方が多いと思います。私もそうでしたが、とりあえず進学とか、とりあえず就職とか、そういうおおまかな道筋だけを選んで、高校を卒業していく人は結構います。
千反田さんにはそういう迷いは、これまであまり見られませんでした。たぶん高校に上がる前にそういう地点は過ぎ去ってしまったのだと思います。もちろん細かい部分で迷いはあるでしょうが、自分が進むだろうおおよその道筋、その方向に迷いは無いように見えます。
そんな千反田さんがもしも自分の境遇に迷い、戸惑うことがあるとすれば、一本道だと思っていた道筋が突然枝分かれしてしまった時ではないか。今回のお話はそういう話でした。

そうあることが当たり前だったものが――指針や基盤だと思っていたものが、突然なくなってしまったら、戸惑わずにはいられません。奉太郎が省エネ主義を脅かされることに戸惑ったり、里志が摩耶花の存在に何度も遠まわりしたり、誰もがそういうある種の核を持っています。ましてや、彼女のように、人生の根幹にかかわる指針がなくなってしまったら……苦しくないわけがありません。

作中では奉太郎がそのことを「自由になった」と表現しています。言葉だけとらえれば、とても前向きに感じられる言い方ですが、ここでは後ろ向きなニュアンスを含んでいます。自由という名の不自由に、自由になることの苦しさに、千反田さんが何を感じたか、奉太郎には窺い知ることはできません。本当は彼がかってにそう思っているだけで、彼の想像はおおよそ間違っていないはずなのですが、奉太郎はいつも他者に対する理解を一歩引いてとらえています。
その引いた一歩分が、きっとあの蔵の扉一枚に表れているのでしょう。
その一枚に優しさを感じたりもするのですが、友達甲斐というにはあまりにも……。
本当に、好ましいふたりです。

今回の千反田さんの行動は、折木さん風に言うなら、千反田さんの生活信条に大きく反する行動です。「甘えるな」と言われるだろうことを千反田さんが自分からやってしまうというのは、本当に大きく反しています。
しかし、生活信条の指針や基盤そのものが揺らいでしまったら、思わず反してしまうのも致し方ないのではないかとも思います。
それでもそのことを最低だと、軽蔑されることだととらえているのは、揺らいだ指針に沿う以外の生き方を持たない千反田さんらしいことだと思いました。
コーヒーだって砂糖とミルクで甘くなるんだから、苦い気持ちを抱えるくらいなら誰かにちょっとくらい甘えてもいいんじゃないかと思ったりもするのですけどね。誰かに。



気になる点をいくつか。

なぜ千反田さんの父・鉄吾さんはあの日、千反田さんに「自由に生きろ」と言ったのか。
親心と言えばそうなのかもしれませんが、なぜこのタイミングなのか、それがわかりません。文理選択は1年生の時にするので、決定的なものではないにせよ、進路を固めるための準備はもう始まっています。それなのに「お前の好きな道を選べ」とこの時期に言うのは、少々遅い気がしなくもないです。
志望校はまだ決めていないでしょうから遅すぎるわけではありませんが、少し急な話だなあと思いました。「千反田家のことはなんとかするから考えなくてもいい」とまで言うに至ったなんらかの理由があるのでしょうか? 単にすれ違った親心から生まれた言葉なのか、もう少しはっきりした理由があるのか、まあ情報が少なくて何も言えないのですが。

他に気になる点としては、やっぱり摩耶花の態度の変化ですね。
奉太郎に対しては厳しいといいますか、時に苛烈にすら思う態度をとってきた摩耶花は、『鏡には映らない』を経て、どこか柔らかくなった印象を受けます。
こういう変化を見るのも古典部の楽しみ方のひとつだと思いますが、奉太郎視点でも変化がなんとなく読み取れるのは、なんだかおもしろいし、うれしいですね。それにしても「はい。」はよかった。うん。

他にもコーヒーの話とか冷やし中華の話とか将棋の話とか、いろいろ気になる点を挙げるとキリがないのですけど、すごく気になっているのは前編の序盤に出てきた言葉。
……地学準備室?
たぶん間違いなのでしょうが、アニメに引っ張られてつい書いてしまったのでしょうか米澤先生。ものすごーく気になりました。



というわけで、いまいち言いたいことがまとまっていないのではないかというような記事ですが、『いまさら翼といわれても』の感想でした。
今回、十文字かほさんの出番がありませんでしたが、前編でちょっとだけ名前が出てきているのでかおるさん的には満足です。摩耶花はかほさんのことを「十文字さん」と呼ぶ。ここ大事。正月のバイトの時にメアドと電話番号を交換したのかもしれないとか考えると楽しいです。超楽しいです。



今回の話を読んで、なんとなく後日談のようなそうでもないような二次創作をしたいなあという欲が高まってしまったので、近いうちに書きます。たぶん日常の謎になります。



それではそろそろこの辺で。

かおるさとーでした。
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