砂糖を焦がせば薫る日々

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『マテリアル・パズル』再始動計画!!

動悸が激しくて呼吸が乱れてて魂が不安定でかおるさんの寿命はこの2日間で大幅に削られたような気がします。

こんにちは、こんばんは、かおるさとーです。
えー、大ニュースです。これはこの星の命運を揺るがすほどの事件です。もしかしたらこの星が他の星に変わってしまうかもしれない大事件です。
一昨日、ツイッターでこんなつぶやきがありました。



10年間………
10年間ぼくらはずっと立ち止まっていた
でも遂に先へと進むときが来た
ぼくらの運命がまた動き出すときが…!!


というわけで、土塚理弘先生の代表作『マテリアル・パズル』がいよいよ再始動です。
え、そんな漫画知らない? 聞いたこともない?

大丈夫! そんなあなたのために新装版が出ます!!
1月23日に講談社からモーニングコミックスとしてマテリアル・パズル新装版が発売予定!!
これはもう買うしかないですね。
いや理由はいいから。買いなさい。
いいから四の五の言わずにさっさと買いやがるんですよケキャキャキャキャ!!!
……すみません、ついアダさん口調に。

えーと、マテリアル・パズルの話を始めたらキリがないくらい無限に語れるかおるさんですけど、残念ながら連載開始時点から読み続けてきたわけではありません。
私が初めてマテパに出会ったのは、大学生のときでした。
清杉はすでに浪人時代に友達から薦められて知ってたんですけど、マテパはまだ知らなくて、たまたま本屋で清杉の隣にコミックスが並んでいるのを見たのが最初でした。
つい手を伸ばして、とりあえず3巻まで買って読んでみたんです。

あのときの私をほめてあげたい。
よくぞ手を伸ばした。購入した。えらいぞ、昔の私。
ここまで大当たりを引くケースって、非常に稀だと思うんですよね。
それが大当たりかどうかっていうのは、一般的な物差しでは実は測れなくて、基準はあくまで自分の感覚に合うかどうかだけなんですよね。
実際、マテパは決して大ブームになっていた作品じゃありませんし、めちゃくちゃ売れていたわけでもない。当時のコミックスはいまや絶版になっていて古本屋で探しても全巻揃えるのは非常に困難。電子書籍でしか読めないものになっています(ガンガンコミックス版は新装版が出るにあたって公開終了になるみたいですし)。
でも、私はあの時、マテパに出会ったんです。
もしかしたらそこで買わなくても後から読み始めたかもしれない。もっと違う形で出会っていたかもしれない。だけど出会わなかった可能性も当然あったはずです。
しかし、読み始めて、あっという間に虜になって、ガンガンを買って連載を追いかけるようになって。
そういう運命的な出会いと、ワクワクが止まらない時間と、長い長い眠りを経て。
今こうして、再始動のニュースを聞いてドキドキが止まらなくなる、そんな体験をリアルタイムでできていることは、本当に本当に幸福なことです。

ちなみに連載を追いかけ始めたころは、本誌ではちょうど第二章に入ってて、単行本でいうとだいたい11巻半ばくらいのときです。
一章には間に合いませんでしたけど、二章のここで追いつけたのは、わりとよかったのではないかと思います。
二章の本番に入る前に追いつけたわけですから。
あの展開をリアルタイムで読めたことはかおるさんの人生においてトップクラスの幸運だったと思うドゥーブル。

土塚先生は別にさぼっていたわけじゃありません。休んでいたわけでもありません。むしろ休みなくずっと漫画を描き続けてきた方で、この10年の間に様々な作品を世に出してきました。
ただ、その中にマテリアル・パズルという大きなピースがずっと欠けていただけであって。
(ゼロクロイツもありましたけど、やっぱり読みたいのは四章だったのです。ゼロクロもめちゃくちゃ大きなピースですし、大好きな作品ですけどね)
その欠落が、とうとう満たされる日が来るかもしれないと思うと、感慨深いです。
正直まだ気持ちが落ち着きません。
なにしろ、まだ四章連載決定の発表が具体的にアナウンスされたわけではないのですから。
発表されているのは、
・講談社のモーニングコミックスからマテリアル・パズルの新装版が刊行される
・新装版には描き下ろしもあるらしい
・土塚先生は新連載の準備を進めているらしい(それがマテパになるかどうかはわからない)
・土塚先生は四章連載の準備を進めているらしい(いつどの雑誌になるのか具体的なことは何もわからない)
そういうわけで全然情報が出てないので、正式に連載が決まるまではこの落ち着かない気持ちは続くのではないかと思います。
でもこの気持ちの昂り、高揚感は嫌いじゃありません。
高揚っていうかもはや興奮なんですけど、「ああ、私、本当にマテリアル・パズルが大好きなんだなあ……」って、改めて再確認しました。
ここまで胸が苦しくなるなんて思わなかったので。

さっきから肝心の漫画の内容についてはほとんど触れていませんね。
でも言わないよ。絶対に言わないよ。
もしも気になる方がいましたら、読んでください。
読まなきゃその魅力はわかりません。
来週には新装版が出るので、興味のある方は買って読んでください。
本音を言うなら世の中の未読者をひとりひとり縛り付けてむりやり読ませたいくらいですけどね。(過激派)

ツイッターでもこの10年間を耐え忍び待ち続けてきた人たちが歓喜の声を上げてました。
TLで「マテパいいよね」「いい…」みたいな空気が醸成されたりしてて、それだけでもニヤニヤしてたんですけど、イラストとかMAD動画とか年表とか流れてきて、私も画面の前で変な声出してました。
狂喜乱舞するフォロワーさんがいる一方、まったく無反応のフォロワーさんも多くいらっしゃって、そこはさすがに10年間の隔絶を感じます。
いや、隔絶以前にマイナーすぎるだけかもわかりませんが。
で、でもでも、土塚先生のツイートも4000RT超えましたから、そこまでマイナーじゃないですよね?
新装版が出て四章が始まったら、知らない人にもいっぱい読んでもらえるようにいっぱい宣伝しようと思います。
打ち切り喰らうパターンが一番最悪の結末だからな……。
雑誌も買ってアンケも出そう。
うん。



というわけで、今回はかおるさんの魂が不安定になって存在変換してしまいそうになっているというお話でした。(でしたよね?)
土塚先生、ありがとうございます。これで今年も元気に生きていけそうです。
……もしかしておみくじの大吉効果がさっそく顕れているのかなあ。
信心も大事かもしれませんね。
かおるさとーでした。


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『HiGH & LOW』と兄様の話

こんにちは。こんばんは。かおるさとーです。

突然ですが、私には兄がいます。
この兄は私より2つ年上なんですけど、私の趣味嗜好を形成するにあたって非常に大きな存在だったといいますか、要因になったといいますか、とにかく大きな影響を受けた人です。
要は、兄を通していろんな小説や漫画やスポーツや格闘技に触れてきたということです。
図書館に通い詰めるようになったのも兄の影響ですし(おすすめの本をいっぱい教えてもらった)、ジョジョとか少年漫画を読むようになったのも兄に薦められたからだし(ジャンプ漫画どれもおもしろかったなあ)、空手とかボクシングとかK-1とか観るようになったのも兄と一緒にテレビを観ていたからです。(兄は空手を習っていたので空手家には強い思い入れがあるようでした)洋画や海外ドラマを観たのも全部兄が教えてくれたものばかりだし(ブルース・リーからジャッキー、セガール、ヴァン・ダムやリー・リンチェイまで、ドラマはナイトライダーからスーパーナチュラルまで、とにかくいろいろ)、それはまああらゆるところで影響を受けまくっているわけです。

ですが、兄が家を出て、離れて暮らすようになってからは、私も自分で自分の世界を広げていくようになりまして。
高校時代に読んではまった小説や漫画は、自分で開拓していったものが多かったですし、まあその範囲も結構影響を受けた感が色濃く残ってはいるのですけど、少しずつ自分なりの世界を構築していったわけです。
決定的に“違った”といえる瞬間は、おそらく大学に入ってから得た感覚を自覚してからでしょうか。
具体的には、私はどうやら「日常もの」や「ハッピーエンド」が好きらしい、という意識が芽生えてからでしょうか。
私が書くお話を読んだことのある方はご存知だと思いますが、私の作風は基本的に明るめで、基本モットーに「甘い」「明るい」「安心」を掲げているくらいです。
でも、中学高校大学と過ごしてきて、触れたものは結構暗いようなきついようなお話も多く、別にそれらが嫌いというわけではありません。これもちょくちょく言ってますけど、読む分にはどんなお話も平気だったりします。一言に鬱だのバッドエンドだの言っても、本質的にそれが果たしてバッドかグッドかというのは、なかなか判別が難しいところがありますしね。『ミスト』とか『隣の家の少女』とかなら、まあ、バッドと断言していいかもしれませんけど。いや、バッドというか、ダークかな。何が正解かわからない物語はきついですね。でも、嫌いではありません。2度は読まないけど。ケッチャムはきついです。(『アンダー・ラグ・ロッキング』とかは、個人的にはバッドじゃない系)

話逸れました。趣味形成に関しての話でしたね。
ええと、とにかく私は、「ごくありふれた人々のなんでもない日常を描いたお話」というものが、どうにも好きなようでして。
それはサザエさん的なものでもいいですし、きらら系4コマ漫画のようなものでもいいですし、日常の謎のようなミステリ系でもいいのです。ただ、ありふれた日常はイコール平和という意味ではないはずで。平凡ではあってもそこに思い悩みながら生きている人がいるのなら、それは果たして単純に平和といえるだろうか、楽しいだけの物語でいられるだろうか、ということは、わずかながらではありますが、心にとどめてはいます。基本的には明るく楽しい世界観が好きですけど、明るくないいろいろなものがあってこそ、その明るさや楽しさはあると思います。

また話逸れました。兄の話でしたね。でしたっけ。
大学生になってからは、深夜アニメを観たり官能小説を書いたり、兄の影響からはだいぶ外れたような領域に足を踏み入れていきました。
それがそのまま今の私の趣味につながっているわけですが、だからといって、兄の影響がまったくなくなってしまったかというと、そういうわけではないのです。
格闘技は観ますし、少年漫画は相変わらず好きだし、昔からの趣味と新しく得た趣味があわさって今の私の趣味を形成しているわけです。
だから、今でも兄とは電話で連絡を取ってお話したりするのですけど、その中でおすすめされたものは読んだり見たりします。
で、私もおすすめを話すのですけど、そこはそれ、極力兄向けのものをおすすめするわけです。兄様に刀剣乱舞とかすすめても観るとは思えないですし。かといって男性向けの美少女アニメやハーレムアニメとかも兄様は観ません。どっちかというと、ロボットものとか熱いアクションものとかを好むのです。ガンダムとか。グレンラガンとか。オルフェンズで失望したのでしばらくガンダム作品はいいやって言ってました。止まるんじゃねぇぞ……。(言いたいだけ)

というわけで、私は『HiGH & LOW』をおすすめしたのです。(前置き長い)

かおるさんは昨年末から観始めるというなんとも遅い参入だったわけですが、これがまあ見事にハマってしまいまして。
とりあえず動画配信されているドラマシリーズのシーズン1・2から始まって、MOVIEとRED RAINまで観終わったのですけど、困ったことにこの後のMOVIE2がまだDVD出てなくて配信もされていないので観られません。2が観られないということは今劇場公開されているFINAL MISSIONも観るわけにはいかないのです。そもそも鹿児島じゃもうやってないけど。
でもでもとりま現状観られるものは観たので、それですっかりハマっちゃったので、こういう男たちの戦いと友情の物語みたいなお話は兄様もきっと好きだろうと思って、年末からおすすめしたのです。

ところが。

年が明けて兄様と新年おめでとうの電話をかけて話してみたら、あまり気にいってもらえなかったようなのです。
あれー? って。
兄様こういうの好きじゃなかったっけ? って。
かおるさん的にはちょっと意外でした。
兄様は『クローズ』とか『ろくでなしブルース』みたいな不良漫画も網羅してまして、実写映画の『クローズZERO』なんてかなり私におすすめするくらいの人だったんですけど(実際面白かったです)、それがあったからなおさら不思議だったんです。

「なんで『クローズ』はよくて『ハイロー』はダメなんだよ!! 琥珀さん、どうしちまったんだよ!!(関係ない)」
みたいな。ね。
で、話を聞いてみたらですね。こう言うわけです。

「まあ、悪くはなかったよ。悪くはなかったんだけどね。でも、ツッコミどころ多すぎっていうか、なんだよあれってなって」
「……(それはすごいわかるけどっ)」
「なんだっけ、ホワイトラスカルズ? なんで白ずくめなんだよ、とか。恰好で笑ってしまって、ちょっと」
「……(クローズだって鳳仙の連中全員ハゲじゃんっ、あっちはいいのかよっ)」
「いや、あの、浮浪者のやつらのアクションとかも結構よかったし、あの不良校の、オヤコー? あいつらとか結構好きなんだけどね」
「……(なんだかんだで結構がっつり観てんじゃんっ、ツンデレかよっ)」
「でもやっぱ現実感がなくてなー、あんな町ありえないじゃん。そこがどうしてもなあ」
「……いや、そこは割り切って観ればよくない?」
「まあそうなんだけど、なんかな、悪くはないんだけど、うーん、なんだろうな。もしかしたら女の子はああいうの好きなのかもしれないけど」
「……たしかに、EXILE版ガルパンとか言われたりもするらしいけど(ガルパンも好きだよ私は)」
「いいところもあったんだけど、全部が全部好きかって言ったら、なんか違うんだよ。いろいろ混ぜすぎてる感があってさ」
「…………うん」

とまあ、そういうお話をしたわけです。
で、兄様が微妙だと感じてしまったのは、たぶんごった煮感がノイズになって、いまひとつ作品の世界観に乗り切れなかったせいではないかと思います。いろんな要素を詰め込むよりも、もっとシンプルな構造の方がよかったのかもしれません。
物語としては、九龍という巨悪が存在するので、はっきりいってものすごいシンプルな対立構造のもとに成り立っているんですけど、アクションやら音楽やら演出やらキャストの多さ豪華さやらを併せて総合的に見たら、たしかになんじゃこりゃってなってしまう世界観です。なので、兄様がいまいち入り込めなかったのはしょうがないのかなあと思いました。
そういえば『クローズZERO』のときも兄様は「これ、女キャラ必要か?」って言ってました。あれもノイズに映ったのかもしれない。

兄様の主張はよくわかりましたが、ひとつだけ疑問を呈したいことがあります。
「女の子はさ、あれじゃん、リンゴを拾ったりとか、抱きしめて俺の胸で泣けみたいな、ああいうのが好きだったりするんじゃん?」

それは違うよ!!

いや、別に嫌いでもないけど、少なくとも私は特別好きってわけでもない。ていうかリンゴを拾うって、RED RAINのあれは雅貴お兄ちゃんのキャラをわかりやすく見せるための演出じゃん、お前もお兄ちゃんキャラならわかれよ!(ムチャクチャ言ってる自覚はある)

RED RAINで一番好きな場面を挙げるとしたら、ラストの兄弟仲良くアイス食べてる場面に決まってるじゃん!!

あれ最高じゃん。やばいじゃん。あの場面にたどり着いて、ほんと観てよかったと思えるよ。

この感覚のズレは、ずっと私が影響を受けてきた兄様と明確に“違う”感じを覚えて、なかなかにショックというか、びっくりしました。
え、私たちは雨宮兄弟みたいに分かり合えないの? 私お兄ちゃんのこと好きだよ。ほんとほんと。広斗クンだって、普段はツンツンしてるけど、ほんとはお兄ちゃんのこと大好きでしょ。いっしょだよ。私は別にツンツンしてないけど。
そういえば兄様、弱虫ペダルもあまり好きじゃないって言ってました。私は好きなんですけど、同じ少年漫画好きなのに何が違うんだろう。
そりゃ違う人間なんだから違って当然なんだけど、ずっといっしょに育ってきて趣味もよく合う仲のいい人が、思いがけない微妙な違いを見せてくると、驚いてしまうものですね。



というわけで、私はもっと雨宮兄弟みたいに兄様と絆を深めたいというお話でした。(そんな話だったか?)
ずっと兄さんって呼んでいて、お兄ちゃんって長らく呼んでないような気もします。今度帰ってきたときにはもうちょい仲良くしたいです。
かおるさとーでした。

2017年は『Myself;Yourself』10周年でリアル10年後だったわけですが

あきましておめでとうございます。かおるさとーです。
今年もよろしくお願いいたします。

本当は大晦日に更新したかったのですけど、大掃除やら手伝いやら格闘技視聴やら(おい)に追われて、結局年明け更新になってしまいました。
今も母に呼びつけられてなんやかんややったりやらなかったりしてます。い、いやだ、私は働かないぞ。
夢は部屋に引きこもって好きなことだけして暮らしながら社会貢献することです。具体的には私が生きてるだけで世の中の人が幸せになるようなシステムを作りあげて死ぬまで楽して過ごすことです。(クズ)
とりあえず、正月はずっと引きこもって文章書いたりゲームしたりアニメ観たりしていたい。



2017年もいろいろありましたが、個人的にはいろいろ余暇というか、いろいろ新しいことに手を出した年でもありました。
といっても大層なことをしたわけではなく、映画を観に行ったり、新しいゲームに手を出したり、話題になっていたシリーズ作品を観たり、そんなことをしました。

映画を観に行くというのはですね、田舎住まいの私にとってはそうそう気軽にできることではなく、しっかりと前もって予定を立てて、休みの日を調整して、本当に観に行きたいと思えるものを選び抜いて、やっとできることなのです。その中で『この世界の片隅に』と『氷菓』を観に行ったことは、私にとってとても大きなことでした。
スクリーンに映った多くの場面を、あの右手を、あの叫びを、私はきっと心に大事にとどめておくでしょう。
素敵な時間でした。

ゲームは、ずっと気になっていた『Ever17』に手を出しました。
これは……たしかにすごいなあと思う一方で、もっと早くやっておけばよかったとも思う作品でした。
きっと学生の頃にプレイしていたら、その手法にものすごい影響を受けたのではないかと、そんな風に思ったのです。
『夜のピクニック』で忍くんが語るあの「しまった!」の感覚に近いといいますか、まるっきり同じといいますか。
特に物語の舞台が2017年ということを考えると、その年に間に合ってよかったと思うべきか、なぜこの年になるまでプレイしなかったと思うべきか、なかなかに悩みます。まあ、遅すぎなかったことは幸いでした。
あ、あとドラクエ11もやりました。結婚イベントがあったので、幼馴染み学派的にはそこそこ高評価です。自分でプロポーズしろよとは思いましたが。

個人的に完全にやられたと思ったのは、年の暮れになって観始めた『HiGH&LOW』シリーズです。
かおるさんは普段ドラマとか邦画とかめったに見ない人なんですけど、ツイッターのタイムラインを眺めていると、なぜかハイローネタをやたらつぶやく人たちがいるんですね。具体的には円居挽先生とかなんですけど。(稼業ネタも多い)
ハイローがなんなのか、まるでわからないまま、「そんなにネタにしたくなる作品ならちょっと観てみようじゃないか」というわけで、フォロワーさんにもおすすめされたので、ドラマシリーズから順番に観始めたわけです。
うわっ、て思いました。
これ、完全に私の好きなやつだって。
世界観がものすごい漫画的で、古い時代の価値観と今の時代の価値観が合わさった不思議な物語で、やってることは『クローズ』とか『ろくでなしブルース』とか、もっといえば『TWO突風』みたいな感じなんですけど、キャラが立っててやたらかっこよかったりかわいかったり、やりたいこと全部詰め合わせたらこうなりましたみたいな、ものすごく贅沢なファストフードを食べている感覚になりました。
鬼邪高校とか大好きなんですけどね。なんやこいつらかわいすぎやろ。

他にも古典部の新作や小市民の新作、好きなWEB小説の更新、応援している選手の躍進、いろいろなことがありまして、とても心豊かになった一年だったと思います。
特に、前にも書きましたけど、K-155kg級王者・武居由樹選手の活躍は、本当にうれしいことでした。
強くてかわいくてかっこいい、21歳の若き王者。
大好きです。2018年もその雄姿を見届けたいです。
武居くんかわいすぎてかおるさんはもうメロメロです。(古い)

今年はどういう1年になるでしょう。
とりあえずお金貯めたいです。小説も書きたいし、やりたいことはいっぱいあります。
ここしばらくは男性向けの18禁小説をずっと書いているかおるさんです。ちょっと更新ペースも遅れてきましたが、ペースを戻したいです。がんばります。
今月あたり、何かアップ出来たらなあと思っています。

それではそろそろこの辺で。
また素敵な1年を過ごせますように。
かおるさとーでした。



あ、タイトルにもありますように、2017年は『Myself;Yourself』アニメ放送(2007年9月~12月)から10年でした。
リアル10年後って、マイユア民にはものすごいパワーワードだと思います。
観た人ならこの意味が分かると思うので、みんなも暇なときにマイユア観てね!

映画『氷菓』を観てきました

すばらしかった……



こんにちは。かおるさとーです。
さてさて、今日は映画『氷菓』についての感想を書こうと思います。
昨日、11月3日の文化の日、祝日かつ映画公開初日ということで、観に行きましたよ。
私は普段めったに映画館に足を運ぶことはないのですけど、私の大好きな小説の映画化となれば話は別です。やらなければいけないことは手短に。さくさくネット予約して朝から家を出て午後から観ました。







※以下、小説・アニメ・漫画・映画あらゆるメディアミックス氷菓についてネタバレ全開の文章なので、それでもかまわないという方のみ先にお進みください。

























入場から始まるまでずいぶん待たされたように感じましたが、始まったらどんどん没入していきました。
とりあえず順を追って書いていきます。

まずはベナレスからの手紙。
原作でも始まりはここからです。アニメでは2話冒頭でありましたが、「わたしはいまベナレスにいます」という一文だけで、天国に行けるだの輪廻から外れられるだのは一切ありませんでした。正直「え、そこから?」と戸惑ったので、最初のあの光景が目に焼き付いて離れません。この時点で、かなり原作に忠実な作りなのかもしれないという予感を覚えながら、我らが主人公の登場を待ちます。

山﨑賢人演じる折木奉太郎がけだるそうに現れました。いや……こんな山﨑賢人さん、なかなかレアなのでは、とか思いながら口元が緩みます。最新刊まで既読済みの原作ファンにとって、今の折木奉太郎と氷菓の頃の折木奉太郎はだいぶ違うのですが、その違いのようなものがそれとなく感じられた気がして、私は好きです。まあ、目が死んでましたが、これはこれで。階段をめんどくさそうに登る折木さんすき。でも敬礼する折木さんは、あまり省エネじゃない。(アニメ版にも言えますけど、個人的にはあの敬礼は心の中の敬礼であって本当に敬礼したとは思っていない派。かわいいけど。漫画版ではしてません)

岡山天音演じる福部里志は、なるほどこういうキャラになるのか、というのが率直な感想。実写ならではの独特のねっとり感といいますか、ユニークなキャラクターになっていました。キャラが立ってていいと思いましたけど、苦手な人は苦手かもしれませんね。原作を尊重するなら福部里志は背の低い、遠目には女にさえ見間違える(女顔とは言ってない)ような青瓢箪ということになりますが、岡山天音さんは背は低くありません。山﨑賢人さんと比べると低いけど、普通です。でもあまりまっすぐな姿勢をとらず、下からのぞき込んだり床に座り込んだりという動きによって、背丈についてはそんなに気になりませんでした。なにより、いわゆるイケメン俳優ではない天音さんだからこそ、個性的なキャラクターになったのだと思っています。

地学準備室。ああ、準備室なんだ……。いや、アニメでも漫画でも準備室でしたし、別にいいのですけど、講義室を部室にしている古典部はやはり原作のみの存在なのか、ひなちゃんが登場する概算におけるあの退部事件の肝の部分って、講義室だからこそ成り立つように思うので、やはりこの世界にもひなちゃんはいないことにされてしまうのか、みたいな思いが2、3秒ほど脳内を駆け巡りましたが(かおるさんはひなちゃんこと大日向友子が結構お気に入りです)、広瀬アリス演じる千反田えるの登場で、講義室・準備室問題はとりあえず脇に追いやられます。
思ったのは、この部屋のこの位置だと、たしかに外からは中に生徒がいるなんて気づかないかもなあということです。そして、窓際までそこそこ離れているので、何かに夢中になっていたら鍵の音にも気づかない……かもしれない。たぶん。

広瀬アリスさんは背が高いので(165cmあるらしい)、15歳の少女を演じるのは大変だと思います。ただ、山﨑賢人さんも178cmあるので、隣に立った時にどう見えるかが大事です。比較してバランスの良い身長差があるかどうかで印象がかなり変わりますから。そういう意味では隣り合ったとき、向かい合ったとき、並んで座った時、ほどよいバランスがあって画面映えしていたように思います。

省エネ主義の折木奉太郎に対して、エネルギー消費の大きいことこの上ない千反田えるという構図は、映画版でもはっきりと表されていました。
というか、映画のちーちゃんこそ、過去最大のパワフルモードだったのではないでしょうか。
小説と漫画ではもう少し落ち着いた感じがあって、アニメでは動きがある分強引さもかなり増していました。しかし映画では、そのアニメ版を上回るパワーを発揮していました。なんというか、パワー(物理)を発揮していました。
や、ちーちゃんがほうたるの腕をつかみ、それをほうたるが振りほどこうとする場面があるのですけど、ちーちゃんの両手ががっしりとつかんで離さないんです。「えええ……」と思わず笑ってしまいました(声には出しませんでしたが)。他にも図書室でほうたるを押しのけたり(パワフル!)美術室まで摩耶花・里志といっしょに走っていったり(廊下は走っちゃダメ)、精神面・肉体面ともに過去最強の千反田えるでした。なんというか、超鋼機神・チタンダエルでした(なんだそれ)。笑顔はめっちゃかわいかったけどね! 詐欺だね!

部室の鍵の謎を解いた帰りに、千反田さんが部長になるくだりがありましたが、あの入部届を受け取る流れを描くためには細かいですが必要なくだりで、脚本が丁寧に思いました。しかしあのくしゃくしゃの入部届を笑顔で受け取れる千反田える……やはりただ者ではない。私なら眉を顰めるくらいはしたかもしれない。

愛なき愛読書パートは、最初の並んで本を読む場面が好きです。もしかしたら2時間の中で一番好きな場面かもしれない。だって、並んで座って何も会話せずにただただ本読んでるんですよ。すごくないですか。で、読みながら「不毛です」って言って、本から一切目を離さず、顔も上げず、「一年に二回植えるやつか?」って返すほうたる。「それは二毛作です」と返すちーちゃん。やり取りは原作に忠実ですが、顔も目も合わせずに本に目を向けたまま交わされるこのやり取りがなんかすごいツボでした。あたし、仲のいいひと見てるのが一番幸せなんです。

図書室ではもうちょっと静かな演技を期待していたのですが、声量を落とすことってできなかったんでしょうか。アニメでは一応摩耶花さんが静かにって注意してましたけど。ちょっと残念な部分その一。

小島藤子演じる伊原摩耶花は、最初はそんなに印象に残らない感じだったのですけど、漫画を描く場面を見せ始めてからは印象が強まりました。文集『氷菓』の表紙絵を気にするところや、ちーちゃんと仲良く絵を描き合う場面、関谷純と教師陣を描いた場面、漫画に対する想いを語る映画オリジナルの場面、そういうところで個性を発揮していくことでキャラを立たせていました。
逆に言うと、そういう場面がないと出番がないというか、あまり必要性を感じない脇役キャラになってしまうのですね。事細かに描写できる小説や、氷菓事件以降の様子を描けるアニメ・漫画と違って、2時間の枠の中で4人全員に役割や意義が生まれるように脚本が作られていたのではないかと考えられます。その丁寧さに感心しました。特に、あのオリジナルの場面。あれがなかったら「この伊原摩耶花というキャラいらなくない?」という印象で終わってしまったかも。まあそれ無しでも、摩耶花さんの描く絵は大変素敵でしたけどね。(イラスト指導・タスクオーナ、だそうです。納得)
あ、あと、部室で奉太郎に押しのけられる場面は、もっと怒ってよかったと思います。基本的にいじられることの多い奉太郎にしては珍しいというか、ちょっとらしくない場面でした。残念な部分その二。

斉藤由貴演じる糸魚川養子は、2000年が舞台だとこんなに若いのかって思った後に、いやそれは斉藤由貴さんだからであってこんなに美人なアラフィフがそうそういてたまるかと思い直しました。麻宮サキが司書ってすごいな。
ここ、耳が遠い・難聴というオリジナルの要素を入れて、物語最大の謎である三十三年前の真実を独自のものに仕上げていましたけど、ここが大きく評価の分かれるところではないかと思います。つまり、原作に忠実に物語を作り上げるか、実写映画をやる意味を見出すためにオリジナル要素を加えるか。
これがうまくいくかどうかはなかなか未知数なのですけど、個人的には今回のオリジナル要素、好きです。これによって一味違うテイストが生まれたのが衝撃的で、心に刺さるんです。糸魚川先生が三十三年前のことをはっきり引きずっていて、こちらのキャラも原作とは違うものになっていました。嫌な気持ちにさせられる度合いが原作よりも強くて、これをまったくの前情報なしで観に行った人は、「どこが青春ものだよ……」と悪い評価を下してしまいそうです。

千反田邸における検討会は、わかりやすくてすごいなあと思う一方で、謎解きを前倒しするように情報をどんどんぶち込んでくる流れにびっくりしました。
摩耶花「そもそも氷菓って何なの?」里志「氷菓といえばアイスクリームだよね」とか、奉太郎がカンヤ祭の字を関谷祭と書くところとか、原作ではもう少し後で出てきたり判明したりする情報が次々出てきて、原作を知っているがゆえに後の展開のカモフラージュになっていました。
「この映画は私をどこに連れていくつもりなんだ……」と予測困難になっていく流れが心地よくてすばらしいです。
そして、省エネ主義の奉太郎が、千反田さんのために(描写を見れば明らかにちーちゃんのために)「考えろ、考えろ」と本気で、ともすれば必死に、推理を重ねる場面は、本当によかったです。もしかしたら原作でもこれくらい真剣に頭使っていたのかもしれないけど、折木さんの視点だからね。あまり必死さは伝わらないよね。控えめに言って最高です……。

灰色と薔薇色の話は、摩耶花の漫画に対する想いも交えて、観客に対してよりわかりやすくなっていました。摩耶花の漫画好きという部分を抜き出して強調してくれたことがかおるさんはうれしかったです。

さてさて終盤。クライマックス。
氷菓第二号の序文をああいう風に解釈して独自展開してくるとは思っていなかったので、かおるさんはめちゃくちゃ戸惑いました。
しかし、「優しい英雄」という部分を抜き出してああいう形にすることで、英雄の意味合いも変わってきます。
関谷純は本当に英雄で、しかし英雄「譚」ではなくて、正しいことをしていながら貧乏くじを引かされるという、とてもとても残酷な話になっていて、ちょっと涙ぐんでしまいました。

その一方で関谷純自身は、いわゆる薔薇色とは少し離れた場所にいて、どちらかというと灰色に近い存在だったように思います。それは現在の奉太郎と度々重ね合わせる見せ方からも見受けられます。
関谷純が「やらなくてもいいことなら、やらない。やらなければいけないことなら手短に」というモットーを掲げていたとは思いませんが、「やらなければいけないこと」はやる人間のように思いました。後輩の女の子を助けるのは、きっと「やらなければいけないこと」だったのです。人として正しいことです。
でも、正しいことをした人が正しく評価されるとは限らないし、余計な評価をされてしまうこともあり、歪んだ形で祭り上げられてしまうこともあるのです。
灰色もしくはそれに近い色の中で生きている人間を、薔薇色に生きている者たちが余計な形で害してしまい、しかもそこに悪意はないときている。これって、原作以上に残酷ではないでしょうか。

映画の中ではどうして運動に加わっていなかった関谷純が責任を取らされる形になったのか、具体的な過程を描いていないので曖昧です。そこが弱いといえば弱いのですが、優しさに対する厳しさ、灰色に対する薔薇色の残酷さ、そういったものが強まる分、そこはあまり気になりませんでした。というか、明言されていなくてもそこは十分に推測可能な部分なので。
要は、学校側にとって邪魔な存在が関谷純だったということなのでしょう。運動のリーダーや責任者を退学させても、英雄は学校に残ります。生徒が起こした運動・暴動によって、建物火災まで引き起こして、その身勝手な騒ぎの中で生まれた英雄なんて、いなくなってもらった方がいいのです、学校側にとっては。
もちろん突っぱねることはできたはずですが、関谷純にはそれができなかったのでしょう。今の時代ならありえないことですが、そこが時代性というやつで、集団としてならともかく、一個人が学校側に抵抗するなんてできなかったのだと思います。

本郷奏多演じる関谷純。はっきり言ってこの映画における主役です。すごいです。何から何まですばらしいです。
歴史的遠近法の彼方で古典になっていく存在でしかない関谷純を、曖昧な存在ではなくきちんとビジュアル化して実体のある存在として描いたのは、他の媒体ではできなかったことです。
そして想像上の関谷純を検討会の中でたくさん見せておいて、最後に真相とともに本当の関谷純を見せる。その叫びは奉太郎の叫びと重なる。どうして奉太郎が関谷純が伝えたかったことに気づけたのか。たどり着けたのか。薔薇色の高校生にはたどり着けずとも、灰色の高校生なら、たぶん、きっと。

そして――

「お前の伯父はベナレスにいる」

ああ……ごめんなさい、私、どうして気づいてこなかったのでしょう。かおるさんは愚か者です。
原作でもはっきり言っているのに。「伯父が消息を絶ったのはベンガル地方で、ええと、インドです」
映画のように優しいフォローではないけれど、その暗喩に気づけないのはおかしな話。私はまだまだ米澤検定六級です(なんだそれ)
や、本当に気づいてなくて……天国に行けるだの輪廻から外れられるだの生きながらにして死ぬだの、全部ここに集約されるじゃないか……。プロの作家さんが無意味なことを書くわけないのです……。

罰としてかおるさんは今年中に氷菓をもう三度、いや五度ばかり読み返す所存です。
あ、これ罰じゃないや。何度でも読める名作。それが氷菓。



以下はいろいろ気になったところを書き連ねていきます。

・みんな気になった「せきたに」から「せきや」への変更。あれの理由は何となく察していました。そしてパンフレットを読んだらその通りの理由でした。私は映画を観ながら「原作で「せきたに」となっていたのは「カンヤ」の読み替えを終盤まで隠す意図があるけど、それはミステリ小説の作法であって、二時間という枠が制限された映画においてはむしろ隠しすぎては駄目なのでしょう。なるほど理にかなっている」なんてことを思っていました。

・ところで、「せきや」という読み方、〈古典部〉シリーズの中で誤字か何かでせきやとルビを付されたものをどこかで見たような覚えがあるのですけど、みなさんご存じありませんか。私の記憶違いでしょうか。どこかで見たような……。うーん。気になります。

・章ごとに手書きのタイトルが表れたのですけど、あれはよかった。山﨑賢人さん本人による手書きタイトルだそうです。

・用務員さん、生徒がじろじろ見ているにもかかわらず何の反応も見せなくて、ちょっとシュール。

・どこを探しても十文字かほさんの姿はありませんでした。あの場所が神山高校である以上、校舎のどこかに必ずいるはずですが、私のセンサーをもってしても見つけることはできなかった。荒楠神社の巫女の神通力は伊達じゃない。つまりかほさんはすごい。すごくない?

・愛なき愛読書の貸し出しカード、ちゃんと黄金週間を避けてあって、細かくも秀逸なカットです。貸出人の順番がちょっと違いました。一番上に沢木口美崎の名前。

・図書室で留守番をするのは里志ではなく奉太郎になっていました。省エネを発揮できてすばらしいと思う一方で、その変更が後々の展開上無意味なものではなかったのがよかったですね。脚本、やっぱり丁寧だと思います。

・パイナップルサンドで戸惑いのあまり思わず「もう一杯」と注文してしまう折木さんかわいい。

・折木さんの家、思っていたのと違った。特に不満はないけど。

・おはようって挨拶してるのに無視し続けるちーちゃんと摩耶花さんちょっとひどすぎませんか。

・摩耶花さんのイラストちょうかわいい。関谷純のイラストとかかわいくて最高やぞ。

・想像上の関谷純が文化祭荒らしを撃退するシーン、効果音がすごくて普段格闘技を見慣れているはずのかおるさんでもちょっとドキッとしました。迫力と暴力は紙一重。それにしても、想像上の関谷純と真実回想の中の関谷純は、同じ本郷奏多さんが演じているはずなのに、印象がまるで違いますね。見事な大立ち回りを見せる奏多くんは大変かっこよかったのですが、違います、絶対に違います。あれは絶対に本郷さんの真意じゃありません!(言いたいだけ)

・アイスクリーム。I scream. 筆記体ではなく活字体。これも観客へのわかりやすい配慮でしょう。

・特別出演 貫地谷しほり 供恵姉さんの声のみの出演。ある意味一番おいしい役どころですが、本人はどう思っていたのでしょう。姿を見せないのはよかった。

・遠垣内将司先輩の出番がありませんでしたが、ご愁傷さまですとしか言いようがない。本人にとって良かったのか悪かったのか。

・最後の文化祭の準備で「限りなく積まれた例のアレ」が出てきたことに目を見開き、摩耶花さんが嬉々としてそれを並べる姿にあっけにとられ、まさかこれは失敗ではなく計画的に二〇〇冊売り切るつもりなのか古典部よ、と見ていて心配になりました。原作ファンに対するサービスのつもりなのかもしれませんが、いらぬ不安感を与えてしまったような……。残念な部分その三。

・みんな制服よりも私服姿の方が素敵でした。

・最初から最後までとても強く印象に残った演出は、。決して早口にならず、会話も急ぎすぎず、展開も地に足着いて落ち着いているような、場面場面の間が印象に残りました。これは映像化をする上でアニメとは逆の演出です。実写においてはそこがよかった。溜め。間。ゆったりと、しかしじわじわとこちらの感情に訴えかけてくる演出。すごかったです。





うーん……まだ何か書き忘れているような気もするのですが、頭の中にあるものをめいっぱい吐き出したらこんな感想になりました。
いやもう全体的に本当によかったと思うのですよ。もちろん万人が完璧に満足できる作品かというと違うのですけど、作品の根底に真摯さが感じられて、それがよかったしうれしかった。アニメ化の時にも言ったような気がしますけど、その真摯さを感じられるかどうかが私にとっては一番大事な部分でして。
原作にもある「優しい英雄」という序文の一記述を抜き出して、あんな風に仕上げられるのがすごいと思いました。
原作ファンとしては、ちょっと『長い休日』の折木さんとか思い出したりしました。
なんというか……似てる気がしまして。
根底にある人としての在り方というか、そういうものが。
かと思えば、千反田さんに対する奉太郎のスタンスや接し方に、形は違えども共通する在り方、大げさに言えば魂の方向性が、似ている気がしまして。
映画を観終わった後に最初に思ったことが「『氷菓』読みたい……」だったので(帰ってきて実際読み返した)、私は本当に氷菓が、古典部が、米澤穂信さんの小説が大好きなのだなあと改めて思いました。
その気持ちをより深めてくれたような、今回の映画だったと思います。
満足です。

ただ……私が行ったときは、あまりお客さんが入っていなかったので、この作品を観てもらえないのはとても残念です。
なので、もっといろんな人に観に行ってもらいたいですね。
原作を読んでいる人も、アニメを観た人も、まったく知らない人も。誰でも。



さて、他の方々の感想を見て回ります。
酷評も、それはそれで作品の見方を深めてくれるので、そういうのを読むのは大好きなのですよ。

かおるさとーでした。







これからの「キック」の話をしよう(私にとっての)

書くことから離れると、その能力がどんどん衰えていく気がします。
このブログも広告が表示されてしまっているので、それを消すためにも何か書かないとと思います。
つまりは素振りです。試し斬りです。
私なりに、文章の切れ味は保っておきたいのです。
なまくらの鈍器かもしれないけど、鈍器でも素振りは必要ですので。

でも書くのは趣味の話。
今回は格闘技、その中でも私の大好きな『キックボクシング』について書きます。
はっきりいって興味のない人にはまったく興味のないことをひたすら書きなぐることになりますが、ツイッターでは到底語りきれない話なので、ここで書きます。
わたし、好きな話を書く時が一番幸せなんです。



私がキックボクシング、通称キックを見るようになったのは、中学生のころです。
当時はK-1が世間でブームになっておりまして、私が初めてテレビで試合を観た1997年は、3大ドームツアーと称して、7月にナゴヤドーム、9月に大阪ドーム、11月に東京ドームで大会を開くという、ものすごいド派手なことをやっていました。観客も5万人以上集めていて、テレビは7時からのゴールデンタイムど真ん中で生中継してて、CMでも選手たちがバンバン起用されるという、まあ今の格闘技界では正直現実的ではないようなことが当たり前のように行われていました。
要は、バブルだったのでしょう。
そのバブルに乗せられたミーハーな中学生が、私でした。

厳密にはK-1はキックボクシングではないので(細かいルールが違う)、本当のキックボクシングを見たのはもう少し後のことなのですが、とにかくプロ格闘競技の試合を見るようになったのは、相撲やボクシングを除けばK-1が最初でした。

それから今に至るまでいろいろ格闘技を見続けてきたのですけど、一番思い入れがあるのが、キックです。
K-1と言いたいところですが、「K-1を含めたキック系の立ち技競技」、と言ったほうが正確でしょうか。
私はたぶん、挑戦する人に惹かれるのです。
それも、「もしかしたら世の中においては意味のないことかもしれないけど、自分にとっては何よりも大切なものに挑戦する人」に惹かれます。
そういう人が、キック界にはあまりに多くて、気が付いたらその世界の虜になっていました。
かっこいいんです。生き方が。
おそらく「キックボクサー」というものを最初に意識させてくれたのは立嶋篤史さんだと思いますが、当時はネットなんてものはなく、K-1以外の格闘技はテレビ中継もなく、田舎にいた私に試合を映像で観ることは叶いませんでした。
代わりに雑誌で選手の名前を知っていきました。
まだK-1に出る前、魔裟斗さんのことも、雑誌で知りました。
K-1ではない、キックボクシングというものを、打倒ムエタイを志す思いの強さとともに強烈に見せてくれた“野良犬”こと小林聡さん
武骨かつ不器用なファイトスタイルでムエタイ史上4人目の外国人王者となった武田幸三さん
高い実力とスター性を持ちながら、脳へのダメージの影響で、K-1中量級の発足とほぼ同時に引退を余儀なくされた悲運の天才・伊藤隆さん
他にも村濱武洋さん鈴木秀明さん前田憲作さん佐藤孝也さん吉鷹弘さん緒形健一さん小野瀬邦英さん新田明臣さん小野寺力さん小笠原仁さん大月晴明さん石井宏樹さん小比類巻貴之さん……名前を挙げればキリがないのですが、そういった様々な選手の生きざまを、雑誌で、たぶん気持ちとしてはノンフィクションのドキュメンタリーを見るような感覚で知っていきました。
モンゴルからやってきた留学生キックボクサー、ツグト・アマラ(当時は花戸忍というリングネームでした)さんなんて、頭蓋骨陥没という怪我を試合中に負いながらその試合を戦い抜いた方ですが、何が彼らをそこまで駆り立てるのでしょうか。
はっきり言って、キックボクシングは儲かりません。ファイトマネーは安いし、基本的には働きながら合間に練習して、試合に出るケースが大半です。
K-1のような華やかな舞台に立てたら、それ一本で食べていくこともできるかもしれませんが、前述の小林聡さんのようにキックボクシングにこだわりを持つために、K-1のリングに上がることを拒否し続けた人もいます。
お金も大事ですけど、そういうものだけでは戦う理由にならない、もしかしたらただただ愚かと評されるだけのこだわりを抱える人も、世の中にはいるのです。
それは言葉で説明できるものではありません。こうして言葉をつづりながら、彼らのすばらしさをしっかりと伝えることができない自分の文章にしょんぼりしています。かおるさんめそめそです。
でも、その生き方の高潔さといいますか、美しさに惹かれて、今でも観ています。

昨日もネット中継で「KNOCK OUT」という大会を観ていたのですけど、出場する選手一人一人が、自分の中にあるいろいろなものを、一瞬一瞬に懸けていました。
誇りとか意地とか自信とか、あるいは町田光さんのように、引退とか。
引退を懸けて臨んだ一戦で、町田光は優勝候補の森井洋介の肘打ちの前に敗れました。肘で切られた傷の出血によるドクターストップだったので、本人はまだまだ戦える気持ちでいっぱいだったと思いますが、そういう決着もあります。現実においては必ずしも、完全燃焼で試合を終えられるわけではないのです。
引退を覚悟して挑んだ戦いで、力を出し切る前に敗れてしまう。そんな残酷な現実を見せられて、ひどくやるせない気持ちになります。
でも、勝った森井洋介さんだって、その試合に懸ける思いは誰にも負けないものがあったはずなのです。
誰もがリングに覚悟を持って臨みます。その覚悟が、彼らの舞台を、そして彼ら自身を輝かせます。
感動しないわけ、ないじゃないですか。



キックボクシングで頂点に立ちながら、魔裟斗と戦うために所属していた団体から離脱し、フリーの立場になってまでK-1にやってきた佐藤嘉洋さん。引退してしばらく経ちますが、今でもファンです。今でもあの試合は嘉洋さんが魔裟斗さんに勝っていたと思います。
外国人キックボクサーとしては一番好きだったアンディ・サワー。今では総合格闘技に転向してしまいましたが、成功を祈っています。またあの華麗なコンビネーションを観たい。
美しさ、華麗さという点で語るなら、ワイクルーの美しさに定評のあったナムサックノーイを挙げましょうか。定期的に小林聡戦の動画を観直します。ジャブから一気に間合いを詰めて肘を入れるという神業コンビネーションは、残酷なまでに美しいです。

そして……那須川天心
もしかしたら、今のキック界を変えてくれるのではないかと、キックボクサーとして魔裟斗さんのようなカリスマになってくれるのではないかと、ものすごく期待しています。
かつて魔裟斗とともに始まり、ともに消えた中量級の波は、今度は那須川天心とともに軽量級にバトンを渡して起こるのではないでしょうか。
それはK-1の武尊や、西京春馬、平本蓮といった存在も同様に、大きな波を起こしてくれそうな予感を覚えます。

天心くんはもちろん特別な目で見てしまうのですが、最近、それ以上に気になる選手が出てきました。
K-1のスーパーバンタム級王者、武居由樹です。
生い立ち、背景、ファイトスタイル、リング外の振る舞い、すべてが完璧なまでに私の心を鷲掴みます。
武居くんのことを知ったのは去年のことでしたが、たった1年でここまですばらしい選手になるとは思ってもみませんでした。
会場人気もありそうで、これからまだまだ知名度が上がっていく予感があります。

や、もう、ほんとに素敵なんですよ、武居くん。
強くてかわいくてかっこいいんですよ。
いやもうはっきりいってかわいいんですよ!!!
なんなのあの子。なんであんなにかわいいの。ずるい。かわいい。
ちょっとこの前の試合の動画のリンクを貼りますけど、試合内容も素晴らしいんですけど、試合後のマイクも素敵。



笑顔がかわいくて、声もかわいくて、言葉が素敵で、振る舞いが礼儀正しくて、完璧。120点。
まだ21歳。男の子です。かわいい。
しばらく武居くん推しで過ごすつもりのかおるさんです。
あ、はい、武居くんのことを紹介したいというのが半分以上の理由でこの記事を書きました。
まだ言い足りないけど、今日はこのくらいにしといてやる(何)



10月に入ったのに、いまだに新作の一つも書けてないので、とりあえずこんな感じで更新してみました。
たのしかったです(小並感)

かおるさとーでした。
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