砂糖を焦がせば薫る日々

サイト更新と読み物を少々

10月« 2017年11月 /  123456789101112131415161718192021222324252627282930»12月

映画『氷菓』を観てきました

すばらしかった……



こんにちは。かおるさとーです。
さてさて、今日は映画『氷菓』についての感想を書こうと思います。
昨日、11月3日の文化の日、祝日かつ映画公開初日ということで、観に行きましたよ。
私は普段めったに映画館に足を運ぶことはないのですけど、私の大好きな小説の映画化となれば話は別です。やらなければいけないことは手短に。さくさくネット予約して朝から家を出て午後から観ました。







※以下、小説・アニメ・漫画・映画あらゆるメディアミックス氷菓についてネタバレ全開の文章なので、それでもかまわないという方のみ先にお進みください。

























入場から始まるまでずいぶん待たされたように感じましたが、始まったらどんどん没入していきました。
とりあえず順を追って書いていきます。

まずはベナレスからの手紙。
原作でも始まりはここからです。アニメでは2話冒頭でありましたが、「わたしはいまベナレスにいます」という一文だけで、天国に行けるだの輪廻から外れられるだのは一切ありませんでした。正直「え、そこから?」と戸惑ったので、最初のあの光景が目に焼き付いて離れません。この時点で、かなり原作に忠実な作りなのかもしれないという予感を覚えながら、我らが主人公の登場を待ちます。

山﨑賢人演じる折木奉太郎がけだるそうに現れました。いや……こんな山﨑賢人さん、なかなかレアなのでは、とか思いながら口元が緩みます。最新刊まで既読済みの原作ファンにとって、今の折木奉太郎と氷菓の頃の折木奉太郎はだいぶ違うのですが、その違いのようなものがそれとなく感じられた気がして、私は好きです。まあ、目が死んでましたが、これはこれで。階段をめんどくさそうに登る折木さんすき。でも敬礼する折木さんは、あまり省エネじゃない。(アニメ版にも言えますけど、個人的にはあの敬礼は心の中の敬礼であって本当に敬礼したとは思っていない派。かわいいけど。漫画版ではしてません)

岡山天音演じる福部里志は、なるほどこういうキャラになるのか、というのが率直な感想。実写ならではの独特のねっとり感といいますか、ユニークなキャラクターになっていました。キャラが立ってていいと思いましたけど、苦手な人は苦手かもしれませんね。原作を尊重するなら福部里志は背の低い、遠目には女にさえ見間違える(女顔とは言ってない)ような青瓢箪ということになりますが、岡山天音さんは背は低くありません。山﨑賢人さんと比べると低いけど、普通です。でもあまりまっすぐな姿勢をとらず、下からのぞき込んだり床に座り込んだりという動きによって、背丈についてはそんなに気になりませんでした。なにより、いわゆるイケメン俳優ではない天音さんだからこそ、個性的なキャラクターになったのだと思っています。

地学準備室。ああ、準備室なんだ……。いや、アニメでも漫画でも準備室でしたし、別にいいのですけど、講義室を部室にしている古典部はやはり原作のみの存在なのか、ひなちゃんが登場する概算におけるあの退部事件の肝の部分って、講義室だからこそ成り立つように思うので、やはりこの世界にもひなちゃんはいないことにされてしまうのか、みたいな思いが2、3秒ほど脳内を駆け巡りましたが(かおるさんはひなちゃんこと大日向友子が結構お気に入りです)、広瀬アリス演じる千反田えるの登場で、講義室・準備室問題はとりあえず脇に追いやられます。
思ったのは、この部屋のこの位置だと、たしかに外からは中に生徒がいるなんて気づかないかもなあということです。そして、窓際までそこそこ離れているので、何かに夢中になっていたら鍵の音にも気づかない……かもしれない。たぶん。

広瀬アリスさんは背が高いので(165cmあるらしい)、15歳の少女を演じるのは大変だと思います。ただ、山﨑賢人さんも178cmあるので、隣に立った時にどう見えるかが大事です。比較してバランスの良い身長差があるかどうかで印象がかなり変わりますから。そういう意味では隣り合ったとき、向かい合ったとき、並んで座った時、ほどよいバランスがあって画面映えしていたように思います。

省エネ主義の折木奉太郎に対して、エネルギー消費の大きいことこの上ない千反田えるという構図は、映画版でもはっきりと表されていました。
というか、映画のちーちゃんこそ、過去最大のパワフルモードだったのではないでしょうか。
小説と漫画ではもう少し落ち着いた感じがあって、アニメでは動きがある分強引さもかなり増していました。しかし映画では、そのアニメ版を上回るパワーを発揮していました。なんというか、パワー(物理)を発揮していました。
や、ちーちゃんがほうたるの腕をつかみ、それをほうたるが振りほどこうとする場面があるのですけど、ちーちゃんの両手ががっしりとつかんで離さないんです。「えええ……」と思わず笑ってしまいました(声には出しませんでしたが)。他にも図書室でほうたるを押しのけたり(パワフル!)美術室まで摩耶花・里志といっしょに走っていったり(廊下は走っちゃダメ)、精神面・肉体面ともに過去最強の千反田えるでした。なんというか、超鋼機神・チタンダエルでした(なんだそれ)。笑顔はめっちゃかわいかったけどね! 詐欺だね!

部室の鍵の謎を解いた帰りに、千反田さんが部長になるくだりがありましたが、あの入部届を受け取る流れを描くためには細かいですが必要なくだりで、脚本が丁寧に思いました。しかしあのくしゃくしゃの入部届を笑顔で受け取れる千反田える……やはりただ者ではない。私なら眉を顰めるくらいはしたかもしれない。

愛なき愛読書パートは、最初の並んで本を読む場面が好きです。もしかしたら2時間の中で一番好きな場面かもしれない。だって、並んで座って何も会話せずにただただ本読んでるんですよ。すごくないですか。で、読みながら「不毛です」って言って、本から一切目を離さず、顔も上げず、「一年に二回植えるやつか?」って返すほうたる。「それは二毛作です」と返すちーちゃん。やり取りは原作に忠実ですが、顔も目も合わせずに本に目を向けたまま交わされるこのやり取りがなんかすごいツボでした。あたし、仲のいいひと見てるのが一番幸せなんです。

図書室ではもうちょっと静かな演技を期待していたのですが、声量を落とすことってできなかったんでしょうか。アニメでは一応摩耶花さんが静かにって注意してましたけど。ちょっと残念な部分その一。

小島藤子演じる伊原摩耶花は、最初はそんなに印象に残らない感じだったのですけど、漫画を描く場面を見せ始めてからは印象が強まりました。文集『氷菓』の表紙絵を気にするところや、ちーちゃんと仲良く絵を描き合う場面、関谷純と教師陣を描いた場面、漫画に対する想いを語る映画オリジナルの場面、そういうところで個性を発揮していくことでキャラを立たせていました。
逆に言うと、そういう場面がないと出番がないというか、あまり必要性を感じない脇役キャラになってしまうのですね。事細かに描写できる小説や、氷菓事件以降の様子を描けるアニメ・漫画と違って、2時間の枠の中で4人全員に役割や意義が生まれるように脚本が作られていたのではないかと考えられます。その丁寧さに感心しました。特に、あのオリジナルの場面。あれがなかったら「この伊原摩耶花というキャラいらなくない?」という印象で終わってしまったかも。まあそれ無しでも、摩耶花さんの描く絵は大変素敵でしたけどね。(イラスト指導・タスクオーナ、だそうです。納得)
あ、あと、部室で奉太郎に押しのけられる場面は、もっと怒ってよかったと思います。基本的にいじられることの多い奉太郎にしては珍しいというか、ちょっとらしくない場面でした。残念な部分その二。

斉藤由貴演じる糸魚川養子は、2000年が舞台だとこんなに若いのかって思った後に、いやそれは斉藤由貴さんだからであってこんなに美人なアラフィフがそうそういてたまるかと思い直しました。麻宮サキが司書ってすごいな。
ここ、耳が遠い・難聴というオリジナルの要素を入れて、物語最大の謎である三十三年前の真実を独自のものに仕上げていましたけど、ここが大きく評価の分かれるところではないかと思います。つまり、原作に忠実に物語を作り上げるか、実写映画をやる意味を見出すためにオリジナル要素を加えるか。
これがうまくいくかどうかはなかなか未知数なのですけど、個人的には今回のオリジナル要素、好きです。これによって一味違うテイストが生まれたのが衝撃的で、心に刺さるんです。糸魚川先生が三十三年前のことをはっきり引きずっていて、こちらのキャラも原作とは違うものになっていました。嫌な気持ちにさせられる度合いが原作よりも強くて、これをまったくの前情報なしで観に行った人は、「どこが青春ものだよ……」と悪い評価を下してしまいそうです。

千反田邸における検討会は、わかりやすくてすごいなあと思う一方で、謎解きを前倒しするように情報をどんどんぶち込んでくる流れにびっくりしました。
摩耶花「そもそも氷菓って何なの?」里志「氷菓といえばアイスクリームだよね」とか、奉太郎がカンヤ祭の字を関谷祭と書くところとか、原作ではもう少し後で出てきたり判明したりする情報が次々出てきて、原作を知っているがゆえに後の展開のカモフラージュになっていました。
「この映画は私をどこに連れていくつもりなんだ……」と予測困難になっていく流れが心地よくてすばらしいです。
そして、省エネ主義の奉太郎が、千反田さんのために(描写を見れば明らかにちーちゃんのために)「考えろ、考えろ」と本気で、ともすれば必死に、推理を重ねる場面は、本当によかったです。もしかしたら原作でもこれくらい真剣に頭使っていたのかもしれないけど、折木さんの視点だからね。あまり必死さは伝わらないよね。控えめに言って最高です……。

灰色と薔薇色の話は、摩耶花の漫画に対する想いも交えて、観客に対してよりわかりやすくなっていました。摩耶花の漫画好きという部分を抜き出して強調してくれたことがかおるさんはうれしかったです。

さてさて終盤。クライマックス。
氷菓第二号の序文をああいう風に解釈して独自展開してくるとは思っていなかったので、かおるさんはめちゃくちゃ戸惑いました。
しかし、「優しい英雄」という部分を抜き出してああいう形にすることで、英雄の意味合いも変わってきます。
関谷純は本当に英雄で、しかし英雄「譚」ではなくて、正しいことをしていながら貧乏くじを引かされるという、とてもとても残酷な話になっていて、ちょっと涙ぐんでしまいました。

その一方で関谷純自身は、いわゆる薔薇色とは少し離れた場所にいて、どちらかというと灰色に近い存在だったように思います。それは現在の奉太郎と度々重ね合わせる見せ方からも見受けられます。
関谷純が「やらなくてもいいことなら、やらない。やらなければいけないことなら手短に」というモットーを掲げていたとは思いませんが、「やらなければいけないこと」はやる人間のように思いました。後輩の女の子を助けるのは、きっと「やらなければいけないこと」だったのです。人として正しいことです。
でも、正しいことをした人が正しく評価されるとは限らないし、余計な評価をされてしまうこともあり、歪んだ形で祭り上げられてしまうこともあるのです。
灰色もしくはそれに近い色の中で生きている人間を、薔薇色に生きている者たちが余計な形で害してしまい、しかもそこに悪意はないときている。これって、原作以上に残酷ではないでしょうか。

映画の中ではどうして運動に加わっていなかった関谷純が責任を取らされる形になったのか、具体的な過程を描いていないので曖昧です。そこが弱いといえば弱いのですが、優しさに対する厳しさ、灰色に対する薔薇色の残酷さ、そういったものが強まる分、そこはあまり気になりませんでした。というか、明言されていなくてもそこは十分に推測可能な部分なので。
要は、学校側にとって邪魔な存在が関谷純だったということなのでしょう。運動のリーダーや責任者を退学させても、英雄は学校に残ります。生徒が起こした運動・暴動によって、建物火災まで引き起こして、その身勝手な騒ぎの中で生まれた英雄なんて、いなくなってもらった方がいいのです、学校側にとっては。
もちろん突っぱねることはできたはずですが、関谷純にはそれができなかったのでしょう。今の時代ならありえないことですが、そこが時代性というやつで、集団としてならともかく、一個人が学校側に抵抗するなんてできなかったのだと思います。

本郷奏多演じる関谷純。はっきり言ってこの映画における主役です。すごいです。何から何まですばらしいです。
歴史的遠近法の彼方で古典になっていく存在でしかない関谷純を、曖昧な存在ではなくきちんとビジュアル化して実体のある存在として描いたのは、他の媒体ではできなかったことです。
そして想像上の関谷純を検討会の中でたくさん見せておいて、最後に真相とともに本当の関谷純を見せる。その叫びは奉太郎の叫びと重なる。どうして奉太郎が関谷純が伝えたかったことに気づけたのか。たどり着けたのか。薔薇色の高校生にはたどり着けずとも、灰色の高校生なら、たぶん、きっと。

そして――

「お前の伯父はベナレスにいる」

ああ……ごめんなさい、私、どうして気づいてこなかったのでしょう。かおるさんは愚か者です。
原作でもはっきり言っているのに。「伯父が消息を絶ったのはベンガル地方で、ええと、インドです」
映画のように優しいフォローではないけれど、その暗喩に気づけないのはおかしな話。私はまだまだ米澤検定六級です(なんだそれ)
や、本当に気づいてなくて……天国に行けるだの輪廻から外れられるだの生きながらにして死ぬだの、全部ここに集約されるじゃないか……。プロの作家さんが無意味なことを書くわけないのです……。

罰としてかおるさんは今年中に氷菓をもう三度、いや五度ばかり読み返す所存です。
あ、これ罰じゃないや。何度でも読める名作。それが氷菓。



以下はいろいろ気になったところを書き連ねていきます。

・みんな気になった「せきたに」から「せきや」への変更。あれの理由は何となく察していました。そしてパンフレットを読んだらその通りの理由でした。私は映画を観ながら「原作で「せきたに」となっていたのは「カンヤ」の読み替えを終盤まで隠す意図があるけど、それはミステリ小説の作法であって、二時間という枠が制限された映画においてはむしろ隠しすぎては駄目なのでしょう。なるほど理にかなっている」なんてことを思っていました。

・ところで、「せきや」という読み方、〈古典部〉シリーズの中で誤字か何かでせきやとルビを付されたものをどこかで見たような覚えがあるのですけど、みなさんご存じありませんか。私の記憶違いでしょうか。どこかで見たような……。うーん。気になります。

・章ごとに手書きのタイトルが表れたのですけど、あれはよかった。山﨑賢人さん本人による手書きタイトルだそうです。

・用務員さん、生徒がじろじろ見ているにもかかわらず何の反応も見せなくて、ちょっとシュール。

・どこを探しても十文字かほさんの姿はありませんでした。あの場所が神山高校である以上、校舎のどこかに必ずいるはずですが、私のセンサーをもってしても見つけることはできなかった。荒楠神社の巫女の神通力は伊達じゃない。つまりかほさんはすごい。すごくない?

・愛なき愛読書の貸し出しカード、ちゃんと黄金週間を避けてあって、細かくも秀逸なカットです。貸出人の順番がちょっと違いました。一番上に沢木口美崎の名前。

・図書室で留守番をするのは里志ではなく奉太郎になっていました。省エネを発揮できてすばらしいと思う一方で、その変更が後々の展開上無意味なものではなかったのがよかったですね。脚本、やっぱり丁寧だと思います。

・パイナップルサンドで戸惑いのあまり思わず「もう一杯」と注文してしまう折木さんかわいい。

・折木さんの家、思っていたのと違った。特に不満はないけど。

・おはようって挨拶してるのに無視し続けるちーちゃんと摩耶花さんちょっとひどすぎませんか。

・摩耶花さんのイラストちょうかわいい。関谷純のイラストとかかわいくて最高やぞ。

・想像上の関谷純が文化祭荒らしを撃退するシーン、効果音がすごくて普段格闘技を見慣れているはずのかおるさんでもちょっとドキッとしました。迫力と暴力は紙一重。それにしても、想像上の関谷純と真実回想の中の関谷純は、同じ本郷奏多さんが演じているはずなのに、印象がまるで違いますね。見事な大立ち回りを見せる奏多くんは大変かっこよかったのですが、違います、絶対に違います。あれは絶対に本郷さんの真意じゃありません!(言いたいだけ)

・アイスクリーム。I scream. 筆記体ではなく活字体。これも観客へのわかりやすい配慮でしょう。

・特別出演 貫地谷しほり 供恵姉さんの声のみの出演。ある意味一番おいしい役どころですが、本人はどう思っていたのでしょう。姿を見せないのはよかった。

・遠垣内将司先輩の出番がありませんでしたが、ご愁傷さまですとしか言いようがない。本人にとって良かったのか悪かったのか。

・最後の文化祭の準備で「限りなく積まれた例のアレ」が出てきたことに目を見開き、摩耶花さんが嬉々としてそれを並べる姿にあっけにとられ、まさかこれは失敗ではなく計画的に二〇〇冊売り切るつもりなのか古典部よ、と見ていて心配になりました。原作ファンに対するサービスのつもりなのかもしれませんが、いらぬ不安感を与えてしまったような……。残念な部分その三。

・みんな制服よりも私服姿の方が素敵でした。

・最初から最後までとても強く印象に残った演出は、。決して早口にならず、会話も急ぎすぎず、展開も地に足着いて落ち着いているような、場面場面の間が印象に残りました。これは映像化をする上でアニメとは逆の演出です。実写においてはそこがよかった。溜め。間。ゆったりと、しかしじわじわとこちらの感情に訴えかけてくる演出。すごかったです。





うーん……まだ何か書き忘れているような気もするのですが、頭の中にあるものをめいっぱい吐き出したらこんな感想になりました。
いやもう全体的に本当によかったと思うのですよ。もちろん万人が完璧に満足できる作品かというと違うのですけど、作品の根底に真摯さが感じられて、それがよかったしうれしかった。アニメ化の時にも言ったような気がしますけど、その真摯さを感じられるかどうかが私にとっては一番大事な部分でして。
原作にもある「優しい英雄」という序文の一記述を抜き出して、あんな風に仕上げられるのがすごいと思いました。
原作ファンとしては、ちょっと『長い休日』の折木さんとか思い出したりしました。
なんというか……似てる気がしまして。
根底にある人としての在り方というか、そういうものが。
かと思えば、千反田さんに対する奉太郎のスタンスや接し方に、形は違えども共通する在り方、大げさに言えば魂の方向性が、似ている気がしまして。
映画を観終わった後に最初に思ったことが「『氷菓』読みたい……」だったので(帰ってきて実際読み返した)、私は本当に氷菓が、古典部が、米澤穂信さんの小説が大好きなのだなあと改めて思いました。
その気持ちをより深めてくれたような、今回の映画だったと思います。
満足です。

ただ……私が行ったときは、あまりお客さんが入っていなかったので、この作品を観てもらえないのはとても残念です。
なので、もっといろんな人に観に行ってもらいたいですね。
原作を読んでいる人も、アニメを観た人も、まったく知らない人も。誰でも。



さて、他の方々の感想を見て回ります。
酷評も、それはそれで作品の見方を深めてくれるので、そういうのを読むのは大好きなのですよ。

かおるさとーでした。







スポンサーサイト

これからの「キック」の話をしよう(私にとっての)

書くことから離れると、その能力がどんどん衰えていく気がします。
このブログも広告が表示されてしまっているので、それを消すためにも何か書かないとと思います。
つまりは素振りです。試し斬りです。
私なりに、文章の切れ味は保っておきたいのです。
なまくらの鈍器かもしれないけど、鈍器でも素振りは必要ですので。

でも書くのは趣味の話。
今回は格闘技、その中でも私の大好きな『キックボクシング』について書きます。
はっきりいって興味のない人にはまったく興味のないことをひたすら書きなぐることになりますが、ツイッターでは到底語りきれない話なので、ここで書きます。
わたし、好きな話を書く時が一番幸せなんです。



私がキックボクシング、通称キックを見るようになったのは、中学生のころです。
当時はK-1が世間でブームになっておりまして、私が初めてテレビで試合を観た1997年は、3大ドームツアーと称して、7月にナゴヤドーム、9月に大阪ドーム、11月に東京ドームで大会を開くという、ものすごいド派手なことをやっていました。観客も5万人以上集めていて、テレビは7時からのゴールデンタイムど真ん中で生中継してて、CMでも選手たちがバンバン起用されるという、まあ今の格闘技界では正直現実的ではないようなことが当たり前のように行われていました。
要は、バブルだったのでしょう。
そのバブルに乗せられたミーハーな中学生が、私でした。

厳密にはK-1はキックボクシングではないので(細かいルールが違う)、本当のキックボクシングを見たのはもう少し後のことなのですが、とにかくプロ格闘競技の試合を見るようになったのは、相撲やボクシングを除けばK-1が最初でした。

それから今に至るまでいろいろ格闘技を見続けてきたのですけど、一番思い入れがあるのが、キックです。
K-1と言いたいところですが、「K-1を含めたキック系の立ち技競技」、と言ったほうが正確でしょうか。
私はたぶん、挑戦する人に惹かれるのです。
それも、「もしかしたら世の中においては意味のないことかもしれないけど、自分にとっては何よりも大切なものに挑戦する人」に惹かれます。
そういう人が、キック界にはあまりに多くて、気が付いたらその世界の虜になっていました。
かっこいいんです。生き方が。
おそらく「キックボクサー」というものを最初に意識させてくれたのは立嶋篤史さんだと思いますが、当時はネットなんてものはなく、K-1以外の格闘技はテレビ中継もなく、田舎にいた私に試合を映像で観ることは叶いませんでした。
代わりに雑誌で選手の名前を知っていきました。
まだK-1に出る前、魔裟斗さんのことも、雑誌で知りました。
K-1ではない、キックボクシングというものを、打倒ムエタイを志す思いの強さとともに強烈に見せてくれた“野良犬”こと小林聡さん
武骨かつ不器用なファイトスタイルでムエタイ史上4人目の外国人王者となった武田幸三さん
高い実力とスター性を持ちながら、脳へのダメージの影響で、K-1中量級の発足とほぼ同時に引退を余儀なくされた悲運の天才・伊藤隆さん
他にも村濱武洋さん鈴木秀明さん前田憲作さん佐藤孝也さん吉鷹弘さん緒形健一さん小野瀬邦英さん新田明臣さん小野寺力さん小笠原仁さん大月晴明さん石井宏樹さん小比類巻貴之さん……名前を挙げればキリがないのですが、そういった様々な選手の生きざまを、雑誌で、たぶん気持ちとしてはノンフィクションのドキュメンタリーを見るような感覚で知っていきました。
モンゴルからやってきた留学生キックボクサー、ツグト・アマラ(当時は花戸忍というリングネームでした)さんなんて、頭蓋骨陥没という怪我を試合中に負いながらその試合を戦い抜いた方ですが、何が彼らをそこまで駆り立てるのでしょうか。
はっきり言って、キックボクシングは儲かりません。ファイトマネーは安いし、基本的には働きながら合間に練習して、試合に出るケースが大半です。
K-1のような華やかな舞台に立てたら、それ一本で食べていくこともできるかもしれませんが、前述の小林聡さんのようにキックボクシングにこだわりを持つために、K-1のリングに上がることを拒否し続けた人もいます。
お金も大事ですけど、そういうものだけでは戦う理由にならない、もしかしたらただただ愚かと評されるだけのこだわりを抱える人も、世の中にはいるのです。
それは言葉で説明できるものではありません。こうして言葉をつづりながら、彼らのすばらしさをしっかりと伝えることができない自分の文章にしょんぼりしています。かおるさんめそめそです。
でも、その生き方の高潔さといいますか、美しさに惹かれて、今でも観ています。

昨日もネット中継で「KNOCK OUT」という大会を観ていたのですけど、出場する選手一人一人が、自分の中にあるいろいろなものを、一瞬一瞬に懸けていました。
誇りとか意地とか自信とか、あるいは町田光さんのように、引退とか。
引退を懸けて臨んだ一戦で、町田光は優勝候補の森井洋介の肘打ちの前に敗れました。肘で切られた傷の出血によるドクターストップだったので、本人はまだまだ戦える気持ちでいっぱいだったと思いますが、そういう決着もあります。現実においては必ずしも、完全燃焼で試合を終えられるわけではないのです。
引退を覚悟して挑んだ戦いで、力を出し切る前に敗れてしまう。そんな残酷な現実を見せられて、ひどくやるせない気持ちになります。
でも、勝った森井洋介さんだって、その試合に懸ける思いは誰にも負けないものがあったはずなのです。
誰もがリングに覚悟を持って臨みます。その覚悟が、彼らの舞台を、そして彼ら自身を輝かせます。
感動しないわけ、ないじゃないですか。



キックボクシングで頂点に立ちながら、魔裟斗と戦うために所属していた団体から離脱し、フリーの立場になってまでK-1にやってきた佐藤嘉洋さん。引退してしばらく経ちますが、今でもファンです。今でもあの試合は嘉洋さんが魔裟斗さんに勝っていたと思います。
外国人キックボクサーとしては一番好きだったアンディ・サワー。今では総合格闘技に転向してしまいましたが、成功を祈っています。またあの華麗なコンビネーションを観たい。
美しさ、華麗さという点で語るなら、ワイクルーの美しさに定評のあったナムサックノーイを挙げましょうか。定期的に小林聡戦の動画を観直します。ジャブから一気に間合いを詰めて肘を入れるという神業コンビネーションは、残酷なまでに美しいです。

そして……那須川天心
もしかしたら、今のキック界を変えてくれるのではないかと、キックボクサーとして魔裟斗さんのようなカリスマになってくれるのではないかと、ものすごく期待しています。
かつて魔裟斗とともに始まり、ともに消えた中量級の波は、今度は那須川天心とともに軽量級にバトンを渡して起こるのではないでしょうか。
それはK-1の武尊や、西京春馬、平本蓮といった存在も同様に、大きな波を起こしてくれそうな予感を覚えます。

天心くんはもちろん特別な目で見てしまうのですが、最近、それ以上に気になる選手が出てきました。
K-1のスーパーバンタム級王者、武居由樹です。
生い立ち、背景、ファイトスタイル、リング外の振る舞い、すべてが完璧なまでに私の心を鷲掴みます。
武居くんのことを知ったのは去年のことでしたが、たった1年でここまですばらしい選手になるとは思ってもみませんでした。
会場人気もありそうで、これからまだまだ知名度が上がっていく予感があります。

や、もう、ほんとに素敵なんですよ、武居くん。
強くてかわいくてかっこいいんですよ。
いやもうはっきりいってかわいいんですよ!!!
なんなのあの子。なんであんなにかわいいの。ずるい。かわいい。
ちょっとこの前の試合の動画のリンクを貼りますけど、試合内容も素晴らしいんですけど、試合後のマイクも素敵。



笑顔がかわいくて、声もかわいくて、言葉が素敵で、振る舞いが礼儀正しくて、完璧。120点。
まだ21歳。男の子です。かわいい。
しばらく武居くん推しで過ごすつもりのかおるさんです。
あ、はい、武居くんのことを紹介したいというのが半分以上の理由でこの記事を書きました。
まだ言い足りないけど、今日はこのくらいにしといてやる(何)



10月に入ったのに、いまだに新作の一つも書けてないので、とりあえずこんな感じで更新してみました。
たのしかったです(小並感)

かおるさとーでした。

PC買いました他

おひさしぶりです、こんばんは。かおるさとーです。

タイトルそのままです。パソコン買いました。
前使っていたのはいわゆる格安パソコンでメモリが2GBしかなく、ちょっとWindows10を動かすには厳しいスペックだったのですが、それが原因かはわかりませんが、先月お亡くなりになりました。
しかたなく昔使っていたパソコンを引っ張り出したのですが、メモリ1GBというスマホにも後れを取るレベルのマシンだったので(しかもやけどするくらいやばい発熱が生じるので)、さすがに買い替えることにしました。元々デスクトップを購入するつもりではいたのですけど、ノートも別に購入することにしました。スマホやタブレットが普及したとはいえ、あればやっぱり便利ですしね、ノート。
まあ、中古なんですけど。
しかし中古でもcore-i5搭載で3万円のマシンとかあるんですね。メモリ4GBはちょい少な目ですけど、それでも前のものよりずっといいですし、さくさく動きます。HDDの容量も320GBと少なめですが、外付けHDDもあるので。
つまりはいい買い物でした。
あとはこの子がどこまで使い込まれているのか、寿命はどの程度なのか、そこが問題ですが、まあなんとかなるでしょう。現状、ネットと書き物さえできればいいので。
そういうわけで、これを機にもう少し書き物の時間をとろうと思います。長らく更新が途絶えていたあやさんのHPも小説が更新されてましたしね。ご出産、おめでとうございます。約束もちゃんと果たします。遅筆でごめんなさい。お話おもしろかったですよ。



閑話休題。
実は先日、兄が帰省しまして。
お盆休みをいただいて、家族4人で旅行に行ってきました。
四国です。愛媛とか、香川とか、そのあたりを車でぐるーっと回ってきました。
愛媛はですねー、松山城とかもよかったんですけど、正岡子規の住居跡を復元した子規堂がものすごく素敵でしたね。なんというか、すてきでしたね。(語彙力低下)
香川県では本当にうどん屋の看板ばかり見たような気がします。車で移動しながら窓の外を過ぎゆく看板は、とにかくうどんうどんうどん……マジでうどん県なんですね、香川。ラーメン屋は1軒見たけど、そばはなかったです。そばはおそらくうどんの勢力に滅ぼされてしまったのでしょう。そばを食べる人はきっと迫害されて、散々な目にあっているに違いない。悪魔の子と忌み嫌われているに違いない。(最近ドラクエ11やってます。超おもしろいです)
金毘羅山も登ってきました。700段以上の階段を猛暑の中登るのは、なかなかに拷問。還暦を過ぎた両親もちゃんと登れたのは喜ばしいことです。我が家はみな健康です。さすがに奥の宮まで行くのは断念しましたが(1300段以上あるんだってばよ)
疲れましたけど、充実の旅行でした。また行きたいですね。次は中国地方などはいかがでしょう。広島とか岡山とか。島根や鳥取もいいですねえ。お金ためなきゃ。



マテリアル・パズル連載再開が近いという話を知って狂喜しております。
やっぱり連載はきちんと終わりを見届けたいですよね。
がんばります(戒め)
かおるさとーでした。
四章はよ。

『ソシャゲライタークオリアちゃん-恋とシナリオと報酬を-』の感想

久しぶりにライトノベルを読みました。

いや、今でもたまに読んではいるのですけど。
私が読むライトノベルは、どれも作家買い・シリーズ買いしたものばかりで、最近の作品は全然読んでいません。
あ、別にそれは昔の方がよかったというわけではなくて、新しいものに手を出すことに臆病なだけです。
もちろん過去の名作に触れて育ってきた感性がある以上、昔のものを特別視してしまうところはありますが、読まずに批判するのは私の本意ではまったくないですし、最近の作品でも興味のあるタイトルはいくつかあるので(まほいくとかグリムガルとか……って言うほど最近でもないかな)、機会があればまたいろいろライトノベルに手を出してみたい気持ちはあります。
とはいえ、それはいずれの話であって、現時点では全然読んでいません。

ええと、要するに、久しぶりに新作のライトノベルを読みました。
『ソシャゲライター クオリアちゃん-恋とシナリオと報酬を-』です。

ゲームシナリオライターの下村健さんの初めての小説ということで、発売前から楽しみにしてました。
下村さんがシナリオを手掛けたソーシャルゲームは、このブログでも何度か言及している『チェインクロニクル』以外にもいろいろありまして、私はチェンクロ以前から下村さんのファンでしたから、これも一種の作家買いといえるのかもしれませんが、やっぱりゲームシナリオと小説は全然違うものなので、下村さんの「小説」が読めるということにすごく期待していました。
そういうわけで以下感想です。








※ネタバレ注意。一応改行しておきます。





おもしろかったです。
帯やらサイトの宣伝文句では「業界あるある満載!?」「シナリオライター成り上がり成功譚」というような文が並んでいて、感想やレビューでも「暴露本」という扱いが大きかったように思います。
それはたしかにその通りで、私も読んだとき「え、そんなの書いちゃって大丈夫なの……?」と思わず心配になってしまうような(正直ちょっと引いてしまった)話が満載だったのですが、でもそれはたぶんこのお話の一部分、一側面でしかありません。
業界の内情を暴露するだけなら小説仕立てにする必要はありませんし、ノンフィクションとして世に出した方がいいはずですから、そこは主題じゃないのです。
あとがきに書いてあったように、ソーシャルゲームを作るにあたってのハウツー本を出したい、というのが率直な動機なのでしょう。
しかしそこはシナリオライターですから、ただのハウツー本ではなく、楽しく読めるハウツー本を書きたい→シナリオライターだから物語も書きたい→小説仕立てのハウツー本を書こう→クオリアちゃん書くよ! という、ちょっとひねった経過をたどって作られた物語が、本作というわけです。
お話の流れ自体はお約束も踏まえていて非常に王道です。主人公が、想い人の後を追いかけて、新しい世界に飛び込んでいくお話。その新しい世界が、今作ではソーシャルゲーム業界となっております。
とはいえ作中で触れられている部分はシナリオライティングがメインで、ソーシャルゲームの細かい仕組みにまで触れられているわけではありません。そこまで踏み込むにはどう考えてもページ数が足りないので、続きが出たらもっといろいろな部分を見せてくれるのかもしれません。

まあ、それはともかく、シナリオの話です。
ゲームシナリオというものがどのような流れで生まれ、ゲームに組み込まれていくのか。それを章ごとに慣習やメリット、問題点を挙げてわかりやすく説明していくので、ハウツー本として非常にわかりやすいです。ただ、読みながら「本当にこんなんで大丈夫なの!?」と困惑するくらいギリギリというかいっぱいいっぱいというか、かなりヤバい業界である描写がインパクト絶大で、これだけですごくおもしろいです。
そういう裏話のインパクトが強すぎて、肝心のストーリーがちょっと印象薄くなっているような気もします。話の流れは、重ねて言いますがすごく王道で、私は好きなんですけどね。新しい業界に入って、いろいろなことを吸収して、成長しながらも挫折を経験して、周りの助けを得て乗り越えていく。そういうストーリーです。

ただ、ひとつ気になったのが、アンバランスな点。
現実の職業を題材にしたお話は、やっぱり現実にあるものということで、私たちと同じ世界に根差したもの、つまりは地に足の着いた話の展開や設定になることが多いのですが、クオリアちゃんは地に足が着いている部分と着いてない部分が混在していて、すごくアンバランスな印象を受けます。
どういうことかといいますと、このお話には超能力・異能力が出てくるのですね。
いや、比喩とかじゃなくて、ホントに。
主人公の想い人、クララさんは4姉弟で、長女・クララ、長男・オーガ、次男・リーヤ、次女・アイナの4人がコウを取り巻いてドタバタを繰り広げるのですが、4姉弟は全員異能力持ちなのです。
リーヤくんとアイナちゃんはまだ現実的に理屈をつけて説明できないこともないですが、クララさんとオーガさんは完全にSFとファンタジーに属する能力なので、ここで私たちの現実とは乖離します。それ自体はライトノベルでよくあることなのですけど、扱う問題が「ソーシャルゲームのシナリオライティング」という現実的なものなので、明らかに違和感があるわけです。
でもその違和感は作中でもツッコミをされまくっているので、狙って描かれた違和感だと考えられます。
おそらく、今後の話につながる重要な伏線や設定として、この異能力設定は盛り込まれたのではないでしょうか。
続編があるかどうかは売れ行き次第なわけですが、続きが出た場合に必要になってくるのでしょう。おそらくは「なぜ」そんな能力を得たのかという理由とあわせて。

まあ、ライトノベルらしさを求めてぶっ飛んだ設定を盛り込んだ、と単純に考えることもできますが。
著者の下村さんは結構設定やらなにやらにこだわる方なので、無意味に設定を盛り込むことはしないんじゃないかなあと思います。
そういえば、この川口4姉弟は、下村さんが指揮を執るシナリオライター集団『チーム・クオリア』のイメージキャラクターでもあるのですが、それが公開されたのってこの『クオリアちゃん』発表よりはるかに前なのですよね。
もしかしたらお話の案はすでにそのころから出来上がっていたのでは……というわけで、ますます無意味な設定とは思えません。

アンバランスといえば、このお話は普通のフィクションよりもかなり密接に現実とつながっています。
作中で実在のゲーム・漫画・アニメ・映画・小説のタイトルがこれでもかと出てくるのです。
普通伏字とか一字違いのパロったタイトルでお茶を濁すじゃないですか。そういうの一切ありません。当たり前のように『デレマス』とか『モンスト』とか出てきます。
たぶんこのお話を現実と地続きにしたいという意図があったのでしょう。そうすることで「このお話のシナリオライターの現状が決して誇張やハッタリではない」ということを表したかったのではないかと。それはちょっと好意的にとらえすぎでしょうか。
もちろん「好きな作品のタイトルをそのまま使いたかった」というのも理由の一つにあるかもしれません。思い入れのあるタイトルをどうしても作中に出したかったのかもしれませんね。残念ながら、私の知らないタイトルもありました。でも、これをきっかけに知らない作品に手を出すという人もいるかもしれません。新本格を読んで古典ミステリを漁りだすような感じで。
あと、鎌倉が舞台なので、鎌倉の名所とかもいろいろ出てきます。他にも主人公の住んでいる場所が結構細かく設定されていたり。(最寄り駅の下高井戸まで徒歩数分のアパートとか)

このアンバランスさは、人によっては受け付けない場合もあると思います。結構読み手を選ぶかもしれません。
ついでに言うならやっぱり男性向けかなーと思います。作中で主人公が担当する作品が基本的に美少女ゲーム、いわゆるギャルゲーなので、どうしても男性読者を想定しているように見えてしまうかも。(実際は、下村さんがラブコメが好きだからというのが大きな理由で、男性向け女性向けというのは特に考えてはいないと思います。そんなのどちらの方にも読んでもらいたいに決まっているわけで)
それでもいろいろな試みがなされていて、私はこのお話、おもしろいと思いました。元々下村さんのシナリオが好きというのを差し引いても、好きだと思います。まっすぐなところが好きなのかもしれません。そのくせ設定が二重構造ラブコメになっていたりして凝っているところが好きなのかもしれません。
できれば続きが出てほしい作品です。もっと売れてー。



以下は適当に書き連ねます。

作中で出てくる『初恋メモリーズ』は、下村さんが昔手がけていた『えんむす』というゲームを元にしていると思われます。
えーと、私が入院中に暇つぶしでプレイしていた、ガラケー時代のソーシャルゲームですね。
なんでそれがわかるかといいますと、キャラクターデザインが同じむらたたいちさんで、キャラの配置や設定も非常に似ているからです。
たぶんプレイしたことがある人なら、すぐにピンと来るんじゃないかと思います。(私だ)
入院中は本当に暇な時間が多かったので、携帯を使ってちまちま小説を書いたりゲームをしたりツイッターを見たりしていました。
その中でたまたま遊んだゲームのシナリオライターが下村さんで、それからずっと追いかけさせてもらっています。
その間に下村さんはどんどん有名になっていったので、ちょっとびびりながら、今でもチェンクロとか楽しませてもらっています。
ガラケー時代には他にも『ナイプリ』とか『Re:まぜ』といった、もはや存在の形跡すらろくに残っていないゲームも遊ばせてもらったのですけど、下村さんのシナリオは当時から一貫してまっすぐなものが多かったです。
そのあたりが私の心に刺さったのかもしれませんね。
あと、幼馴染みをちょっとひいきにするあたり。下村さんも幼馴染み学派か……?(そこか)

んー、だんだんクオリアちゃんの感想じゃなくて、下村さんへの想いを連ねる感じになってきましたね。
でも、そこは意外と大事なところで、過去作に触れている人がクオリアちゃんを読むと、「お、これは」と思うようなポイントが多いのです。
岸部露伴じゃないですけど、想像だけでお話を生み出すわけではなく、何かを体験して得たインプットを大事にしてアウトプットを行うのが下村さんの作品作りの特徴です。
下村さんはツイッターでも過去にプレイして心に刺さった作品のタイトルを挙げることが多いのですけど、開高健や横山秀夫のような骨太の小説から、SF系のアニメ、美少女ゲームまで、本当に様々な作品を挙げるので(そこはクオリアちゃんの主人公・コウに重なる部分ですね)、そういった過去の名作に触発されていろいろなシナリオを生み出してきたのでしょう。そうしてシナリオライターとして携わってきた作品が経験として積み重なっていって、また新しいものを生み出す。そういうサイクルができているように感じられます。
そういうわけで、どうしてこういう書き方がされているのだろうとか、こういう展開になるのだろうとか思ったら、それは大体下村さんがかつて体験したことや触れてきた作品、手がけてきた仕事がベースになっているものだと考えてもいいかもしれません。
そういう積み重なりが見える点でも、下村さんの作品を追いかけてきてよかったと思う小説でした。



やたら長くなりましたが、『ソシャゲライタークオリアちゃん-恋とシナリオと報酬を-』の感想でした。
思ったことをそのまま書き並べているだけなので、雑然として読みにくいかもしれませんが、結構想いは込められたと思います。
ええと、改めて。
下村さん。小説発売おめでとうございます!



かおるさとーでした。

年始の挨拶(ゲームとか格闘技とか創作とかいろいろ)

あけましておめでとうございます。

毎年年末に更新していた当ブログですが、昨年はそれができませんでした。
忙しかったのも確かですけど、単に書くことを何も思いつかなかったのも理由の一つです。
普通に一年を振り返れば、昨年は本当に何もしなかったように思います。
リアル生活ではいろいろ変化があったんですけどね。創作方面では本当に何もできなかったように思います。
こっそりといろいろ書いてはいるのですけど、おそらくこちらでは公開しないと思いますし。

で、これは私がいけないんですけど、あれですね、スマホゲームにかかりっきりなのがよくないように思いますね。
私がやっているスマホゲームって、チェインクロニクルとアイドルマスタースターライトステージの2つが主でして、チェンクロはたぶんずっと続けていくんじゃないかなと思います。デレステの方は、実はちょっと疲れてきています。
いや、子供のころは「ゲームは一日1時間」という標語(標語か?)に代表されるように、1プレイの時間がある程度決まっているのと同時に、リアルの時間とリンクしていないから、自分の気が向いたとき・好きなときにプレイするものだったと思います。たぶんそれ自体は今もあんまり変わっていなくて、コンシューマーゲームはそういうものだと思うんですけど、スマホゲームとかブラウザゲームとかはそうじゃないんですよね。
なんというか、時間を使わせるような仕組みにしているんですね。
期間限定イベントと、ログインボーナス。
これがあると、なんだか毎日やらなきゃ損してしまうような、そんな気分になってしまうんですね。あ、掛詞ですね。損な気分ですね。
でも別に誰からも強制されているわけじゃないんだから、もっと気楽にやっていいはずなんです。それができないのは、やっぱり私の意志が弱いからであって、もっと自制とか自省とかすべきなんです。
えーと、つまりですね、ちょっとゲームから離れてみるべきではないかということです。できるかどうかはわかりませんが、デレステやめようかなーと思ったり。でもチェンクロはやめないと思います。下村さんの出世作ですし、思い入れがあるから。
あ、下村さんといえば、『ソシャゲライタークオリアちゃん』の感想記事もそのうち上げようかなと思います。久しぶりに読んだライトノベルで、なんというか、すさまじいお話だったので。



年末の格闘技のことを。
ボクシング、キックボクシング、総合格闘技、様々な競技格闘技がある中で、私が一番注目していた選手は、“神童“那須川天心
キックボクシング界ではいまや飛ぶ鳥を落とす勢いの彼ですが、キックボクシングという競技自体が非常にマイナーな競技なので、一般の知名度はほぼ皆無。
しかし、彼は間違いなく日本キックボクシング史上最高の選手です。
何が恐ろしいって、まだ18歳の高校生というのが恐ろしいんですけど、試合を見たらその強さを感覚で理解させられるんですよね。たぶん格闘技に詳しくなくても、見たらわかるんじゃないかな……。物が違うというか、住む世界が違うというか、常識が通用しないところにいる気がします。
12月は3試合をこなしました。
さらっと書いちゃいましたけど、この時点で異常すぎる。なんでこの子、年末に2試合もこなしてるんだろう……しかも勝つし。
今年どこまで飛躍するか楽しみです。

ボクシングだと、小國以載選手が無敗の王者グスマンに勝った試合がすばらしかったですね。
下馬評では圧倒的不利の予想が多かったですけど、自分ができること・やるべきことを最後まで遂行する一途さと、勝負にかける気持ちの強さ、その中で高揚せずクレバーに戦う冷静さが小國選手にはありました。3ラウンドにダウンを奪った後も浮足立つことなく、無闇に攻めることはしませんでした。ちゃんと試合の様相が、全体の流れが見えていたのです。
ダウンを奪ってもグスマンの強打はまだ残っている。ここは無理に間合いを詰めずに、足を動かして強打を封じ、距離・間合いの差し合いを制していくのが正しいと判断して、実際にその通りの展開にしてみせた。あそこで勝負に出ていたら、カウンターをもらっていたかもしれません。実際、グスマンのパンチの力はまだ残っていましたしね。
ツイッターでもつぶやきましたけど、「”特攻”は愚者の選択で、王のすることではない」と思います。小國選手はクレバーに、賢く、勝負に勝った。それはリアルな勝負の世界に身を置くがゆえのリアルな選択と、それを遂行できる勝負師の心の強さがなしえた結果だと思います。
小國選手、世界王座獲得おめでとうございます!



創作について。
〈古典部〉シリーズの二次創作熱がそこそこ高まっているので、何か思いつけば書きたいです。
ただ、私は原作にある程度沿っていないと二次創作ができないところがあるので、新刊「いまさら翼といわれても」を改めて読み直して、既刊も全部読み直して、解釈を整理整頓する必要があります。
〈小市民〉シリーズもそうです。秋期まで……いや、巴里マカロンまで読み込んで咀嚼した上で、書かないといけません。というか、書けません。他の方の二次創作ではそういうのは気にせず読めるのですけど、私自身が書くとなると、そこはこだわってしまいます。
オリジナル作品ですと、宿題がたくさんたまっていますね。催眠ものとか正鵠とか精霊とか、あとは青川さんとか。
とにかく、何か書きます。書きたいです。



それでは今年もよろしくお願いいたします。
かおるさとーでした。